よる

はいどーも。山積みの書類を残して帰ってきたぜ自宅は最高だぜ。
 
忘れないうちに記憶を書く。
 問題は「どうやってそいつはもうボケてるんだと全員にみとめさせるか」である。
 
 固有の人名をださないのでいいだろ。
 
 その人物は老齢化してもうボケている。最大の問題は現実認識がなくなっており、彼の認識と現実の様相との間にはグランドキャニオンもかくやという懸架。
 ぜんぜんだいじょうぶじゃないのに「大丈夫」をくりかえして、他人の手を拒否している。
 そういう場合には、あらゆる関係者が「彼は自己責任において大丈夫だと言っているのだから、彼が不慮の事故で死んだとしてもそれは彼の責任だ」と認めてやるのがいいんじゃないのかなあ。
 しかし現状の日本の制度はそうなっていないし、世間的な平均の認識もそうなっていない。「本人の意思は最大限尊重」とかいって、どうみてももう独居できないに決まっているボケ老人を病院から独居状態へと帰宅させ退院させようとするのである。
 本人はとっくに現実対応能力をなくしているのにだ。・
 
 どういうことかというと彼はもう「生きていくための栄養」を理解することもできず、「怪我しないための安全な行動」もできず、「それらを含めた生活全般をなりたたせる清潔保持や洗濯や掃除や服飾の管理」もできず、要するになにもまともにはできないただのダメ人間に成り下がっているのである。彼の認知能力の低下がその最大原因だ。
 
 こういう人間はたくさんいるし、ついこないだNHKでN特になったばかりだ。
 
 しかしなまじ「人権」なる概念があるのでどうもならん。
 
 本当は血縁の人間は決断をして彼はもう自分でなにかを決める能力を失っているのでまわりできめなくてはいけないのだ(いわゆる「後見人」の考え方である)と、変えていかないといけないのだけれどな。それをするだけの決断とか責任を引き受ける気概とかが存在しないのだ。
 
 阿呆の末法の世である。マッポー。サイバーサイタマに重金属雨がふりしきるであるよ。