http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20131205/256782/
「うんざりするほど当たり前のこと」
日経BOL、小田嶋隆氏のコラム。
会員じゃないと最後まで読めないが、最期に、「一人で考える」ことが出てくる。「私たち」というWeという主語ではなく、個人、I で考えるということ。
社会を構成するのは個人によってであるが、皆がそれぞれ愚であると衆愚になるし、自民党と公明党がなんでもできる体制をつくったのは選挙で票を投じた人なので、選挙の結果をみちびいた人間たちが愚であったということになる。
みちびいたと書いたのは「投じた」「投じない」をふくめてすべての人間が結果的にみちびきに関与しているということだ。好むと好まざるを関わらず。
それはうんざりだな。
また朝からNHKはTPPでたぶん日本が関税をおそらくは、とか
武器輸出が法的にできるようにする(あいまいすぎる文言のきまり)とか、
うんざりニュースしか流れてこない。
そんな政府しかもっていないということが恥ずかしいとも思える。
具体的に「戦争が出来る普通の国」とかいって、国を変えていきたい勢力があるのは分かるが、それでいったいどういういいことがあるのだろうか。そいつらが嬉しいだけではないのか。ようは自尊心が満たされたみたいな。
そんなんいったとて1945敗戦は覆らないのである。愚だったから負けたのだ。愚であるかぎりは同じことをくりかえすんじゃないの。繰り返したいというなんかおそるべき欲望みたいなのがあるんじゃないの。
あと「簡単にスプーンの背でつぶせるくらい柔らかい介護食」ってのが出てきていたが、食い物くわなくなるのは精神と肉体の両方の老化なんだから普通のことだと思ったら食いたくなくなったらおだやかに水分も少なくして枯れたような老衰で死んだらいいんじゃないの。ほんとうにくわないぜそういう人は。それで点滴とかするから生きのびてしまうんだけど。つまり他人の意思が個人の運命を翻弄している。とも言える。そうでないともいえる。命はなによりも貴いとか。
実際は「宗教」が個人の命の上にあると考える人の方が世界全体では多いんですってね。へえ。