よる3

それでさ。
 
 いつも最後はそうなるんだけど、「本人がしたいこと」「本人の目的、希望、かなえたいところ、落とし所、ニーズ、人生に対する考え方」「生活スタイル、普段していること、日常生活、日常の動作、普通の時間割」などなど。これらが出てくる。
 
 そういうこと、我々、普段なにも意識しないで生きている、とくになにも。
 しかし、いったんCVA発症してそして生き残ってサバイバーになって家に帰ってくればそこで「ある部分の動作が欠けた状態」として生きていかなくてはいけなくて、そこではじめてさっきの「本人が」「本人の」「そもそも思っていること」と直面しないといけない、しかし、そんなことそもそも突き詰めて考えたことがないから、わからない。わからないのは普通だと思う。オレだってわかんない。オレだって空白で空虚に生きている、たまたま仕事があって口に糊して働いているだけでそれをこなすのに必死である、なにかのクオリティを上げようなんて夢にもおもわない。できないことはしない。いまできることだけしている。
 できないことはしない・・・茶錬陣愚なこと・・・チャレンジングなことを段階を経て一歩一歩やらせようって、疾患を得てはじめてそれをやろうだなんて、 まあ疾患を天恵(ギフテッド)と思えばそうなんだけど。。。
 
 オレがね、たとえば地域のなんかグループにはじめましてってそうやって参加していって参入していって知らん人と仲良くして、そんなん、それ、ものすごく難しいわ。 
 なにもそれがかならずしもタスクであるわけじゃないんだけどね。・
 
 そうするのが好きな人ならそうなんだろうけども。