よる

朝はフットボールみていたが、引き分けであり、まあまあ。
これで次戦ではギリシアが必ず勝ってくれること前提で日本ががんばれっていう、つまりギリシア大フィーバー
 ギリシアがんばれよ。兄弟よ。カメラータ。
 
 明日は明日で土曜で午後だけ仕事であるこれなんだす。インダス。

 今日の仕事中の車移動はメガネびいき聞きながら。
 適当。 
 はじめのうちは諏訪大社が縄文から・?みたいな話もあったが、途中でぶらっと曲紹介ゲストの川畑氏が現れてオーイェーオーイェー合戦に。これだけだと文字で読むとなにがなんだかわかんねえな。まあ知る人は知ってるからいい。いいかげんすぎるし適当すぎる。
 しかし川畑氏、マジすげえな。
 
 なんちゅうかこういう「マジすげえ」ゲストがふらっとくるのがメガネびいき。そしてそれになんとも思っていないおぎやはぎ。・
 
 一方、不毛にやってくるゲストは皆どこかで「実は変態的な実際を開陳することをどこかで望んでいました」的な奴らである。
 aiko様にしたって、結局はどこかで敵わなかった夢のラブラブ愛に耽溺生活ができたのかできなかったのかそれの呪詛の記憶の唄を歌詞にして歌う人である。ような気もする。おしゃれパウダーかけてもばれる。
 みたいな。
 松井咲子嬢が不毛にイレこむのも、結局こころの奥のほうにある変態性(おいそれとは世間に出せない)がここでは開陳しても周りが非難しないとわかっているからではないか。と。
 そんな場所はそうそうない。・ 
 きれいな、美しい、努力の励みのまじめな清純なところを求められている表向きの世界。
 
 ラジオ深夜放送はどこかでそれの頸木を逃れていないまでもなにかそこでは晒してもいいような錯覚が生まれる場所である。そして文字起こしでそれがバレたとしても結局もとのソース生のソースにあたることは同録でなければできないし結局伝聞は二次ソースだという理由でお咎めなしになる、さいごには。
 
 だから性癖を吐露してもいいし、変態性がありありで、なんなら罵倒も呪詛もありなのである。あってほしい。そういう場所が。世間の平和に健康な人ならまず起きていない25時から27時なのだから。 
 
 そこを救いにしてかろうじていきている人が日本にどのくらいたくさんいることか。オレがその一員だ。ラジオがなくなったら生きていかれない。マジで。リアル人などよりラジオが大切。スマホでraziko万歳。過激派。