よる

平和に紅白をみている実家の居間。プラズマテレビがいつまでも壊れない。
そして画面がきれい。
プラズマ万歳。
 

富士山。

fmトランスミッターのコード、助手席。

ルートインの部屋からカーテン越しの朝の空

 
よく分からんが。思うに。たまの休みと、日常と、どっちが本質的か、っていう問題の立て方はまちがっている?
日常というのはオレにとっては仕事であり、別に友愛も家族愛も関係なく、やらんといかんことをやるだけのことで。
たまの休みというのは最近では「何をしたらいいのか」であり、孤独感であり、
じゃあそれがもう悩みの種で死んでしまいたいほど辛いのか、といったらそうでもない。
日常はふつうに過ごしてるだけなら永遠である。
 
というのは嘘で、永遠ではない。
 
年末と正月に久しぶりに家族が揃って有難い、毎年これを繰り返したい、等と言っても毎年老いて人心は変化し、必ず人は死ぬし家族は解体する。
めでたし。一休さんの言ってたのは真理であり、真理は人が直面したくないものだし。
 
だったら別にいいんではないのか。何でもどっちでも。
 
と、自分のことはそう思うが、他人についてはそうはいかない。