あさ

あさですね

久しぶりの雨

雨もいいもんですわ

 

豪雨でなければね

 

爪はきのう切ったので

ヒゲを剃らなければね

 

脳内いろいろぼやーん

 

よく覚えていることといえば

 

きのうのサウナだな

スーパー銭湯

サウナです

 

なにしろ3連休もそれなりにくるしくて

苦しいというのはなんというか

時間の経過というか

集中力というか

「これひとつをやってればOK」という万能の処方箋もないもんで

そのつど決めたり考えたり時間の計画を

たてている(脳内で)

 

3連休も3日目にはいって

3日ともジムいって

3日目はオレ的には満を持してスーパー銭湯にいける

(650円は毎日気軽にほいほい払う金額ではない)

そしてサウナにはいる

 

サウナのいいところは身体の感覚の変容で

湯につかるときの暖かさと

ドライサウナのあの身体に熱がどういうルートではいってくるのか

湯とはちがうのか

違うなあ

あの身体の温度その他の全身にかんじる

なにかの融解の感じの感触の感覚がとても

不思議でオレはそれを楽しんでいたのであった

 

あとは

あまりありませんえ

 

 ゲームと読書と

「正しさがいかに役にたたないか」とか考えているが

役にたつ場所はあるんだけど

いまオレが面しているような場面の社会の

そこではいつも正しさが無力だなあと

ずっと思っているのね

 

正しいほうほう(健康やその他よいこと)が

あったとしても

それはぜんぜん支持されないのであった

ごくたまにしか支持されない

医療とかも基本は

命を救うとかいって

そんなことはできませんえ

薬はいちじしのぎ

切って貼ってもいちじしのぎである

その命そのものの生きる力が

(回復や止血 改善 老廃物を外に出すなど)

備わっていたり 残存したりしていないと

命なんてすぐ絶えてしまうし

 

だから医療を素朴に信じて

「お医者様よ~なんとかどうにかお願いします===~~」などと

言える人が

逆に羨ましいというか

なんでそんな素朴な信仰を保ったまま生きてこられたのかと

思ってしまう

 

つまり信仰の廃れてその後の世界は荒涼だということだ

 そうですね

朝からそんなことを考えておると

人間の感情とは・・・

なぜ感情はあるのか・・・

動物の感情とか・・・・・

 

好き 嫌い 好悪の感情は生存に対してどう役にたつ

などと思っているわ