よる

なんだかんだ

おきてて

蜘蛛子さんの19話みるため

そう

みたよ

たのしいね

同窓会がグロテスクでね

格差ありありだよね

先生もエルフとして無罪じゃないしね

殺しもやってるしね

 

それまでに

 

幼なじみが絶対に負けないラブコメとか

ゾンビランドガリベンジとかみているわけで

どっちもくだらなくておもしろい

幼なじみのほうはどっかでよく出てくる

クロがでかいおっぱいをおしつけてくるところがあると

とてもよい気分になれるし

(アニメでそうなれるのだから幸せといえる)

ゾンビランドでは皆いきいきと佐賀弁をしゃべっておる

たのしい

 

「生きるとか死ぬとか父親とか」の6話はひどいもので

何がひどいかというと

コドモをつくる選択をしなかった女が

なにか

わるいことをしたかのような気分にさせられる

そんなアレです

皆くるしんでいるし

コドモをつくらない人もつくれない人も

みな

コドモの前で自らの傷にいたみを感じるだけである

なにもできないしさようならだ

くそくらえだこんな世の中と思う

そうだろう

コドモなんかつくれておまえらどっか異世界へとんでいってしめえ

と思ってしまうよ

 

あと

 

なんだっけね

 

もういいか

 

職場で同僚と話すのだが

職場が荒れてると

なんだか

とげとげしいやら

がさつくやら

である

 

オレだってわかる範囲でなにもかも

調べられることを調べなくてはいけない

 

同僚がたくさんいれば

どうなのかわからんこともたくさんある

それぞれが別のことを考えているからね

 

いいんだよ好きにやってくれよ

オレは稼げるあいだ稼ぐだけのことだ

 

あと

そう

使命というか

いちおう医療職なので

世の中のお役にたつことが最低限

もとめられているからね

 

そういうことでお金をもらうお仕事ですので

 

あと

 

「そこにある山」はとても変な本で

結婚について考えることを期に

山とか冒険とか何をするのか何をしたいのかを考えている

のだが

考えのすすめかたが独特すぎてあたまおかしいのだる

おかしいのよ

ハイデガーとか簡単に援用しないほうがいいと

思うの

相手が巨大すぎて

自説をいいたいがために

沿革も輪郭も巨大すぎるものをつかうのは

よくないよ

 

と思っていたが

 

結局言葉にできないものをどうにか言葉にしてみようと

悪戦苦闘している時点でこの本には価値はあるのである

 

北極にいって北極を感じること

について

「本当に感じること」と

「なにか薄い皮をへだてているような感じになること」

をわけてかいている

GPSなんかつかって自分の位置がわかってしまうと

どうも

本当に北極を感じているかんじにならないんだってさ

 

意味付けの病じゃねえか

 

単純な感覚器官はサムいつめたいくるしい

を感じることができる

それだけじゃだめなんかい

 

生命をながらえようとする悪あがきが必要なのかい

 

肉体が必死にならないといけないのか

という感じをもってくるとこれは

ミステリーやサスペンスのことになってしまう

真剣に対峙するシチュエーションさえあればいいのだる

 

そうじゃないんだけどね

 

普通に仕事している

というが

普通に仕事しているだけで

その仕事をしている人は

真に仕事をしているといえるし

それはマジですごいことなんだよ

社会と対峙しているのだもの

 

あんまり仕事をバカにしないほうがいい

人間社会をまわしているんだ

 

冒険とかいってグリーンランドとか北極とかいって

いけるのはなぜいけるのか

金がそこにあるから対価として装備品をかったり

交通費が出たりしたからそこへ行けるのだし

文章をかいて金にかえているわけである

 

何をしてそれで金にかえるのかしらんが

何かをしているのであってそれが仕事だ

 

 かねである