カモンカモン 2回め

記憶整理と感想あらたな

本の引用4冊
バイポーラポーラーベアー
北極クマの父のほうは感情の制御が難しいことがある

母たち
になにかの役割を押し付けてるのか

撮影者は撮影しておるが
そのさなかになにか映されているほうの人間が予期せぬ動き発言なにかがそこで生まれ

星にやってきた初心者
学ぶそして
最後はさり難くなるんだ

ここまでで4冊


オレが一回目に感じたのよりも
もっと危うくてこわれそうで
よく
なんとか壊れないで
進んだけれどいつでも
こわれそうで
ジェシー
謝ることをするのはずっとあとのほうで

父のようになるのだろうかと
吐露するのはほんとうに最後の
きわ

いま電車なのでここでいったん
区切りだが
ほんとに
2回めみて
よかったと
おもうよ

2回めは家族って
なんだい
と思いながら

みていたよ

(ここから帰宅後)

というのは家族が
かぞくって別に人間がそろっていなくてもいいわけじゃん

親と子
親と親(夫婦)
きょうだい

みんな家族のバリエーションじゃん

ジョニーが妹との不仲をジェシー
きかれて答えられないけど
妹との電話では最終的に
言える
ポールの事情を知らずに介入(夫婦仲に)しちゃったこと
母の認知のあつかいかたでもめたこと
ジョニーの恋人との別れ
言えるじゃんね

ジェシー
コドモとして風変りかもしれないが
べつにふつうの子だし
普通に親の
ことがどこかこれは「普通」ではない
とわかるからこそ「普通ってなんだい」って
言うんだよ
だって父親がおかしいことについて
母親が何も言わないことのほうがおかしいでしょ
オークランドにいくって
いうのにジェシーがついていってはいけないのは
ポールがおかしいからであって
そんなんわかるじゃんね9歳なら

そういう視点もあるさなぜ母はオレに言わないんだってね
そのこと「なぜ?」を直接母に言えないという
ストレスだってあるさ

だからナナメの関係の叔父と甥が
(ぶつかるものの)最終的には
謝ることのできる関係性と
いいたかったけど抑圧してたことも言えるような
ムード(関係性というほどのものではないようにも思える)
に至るわけで
それはそのときだけかもしれないし
実際成長していくうちに忘れていくかもしれないよ

だからそれを思い出させてやるぜと言うのはジョニーのほうの
台詞なわけだ(さいご)

実際問題として映画だから構造をすごくシンプルにもしている
学校に友達がひとりもいない
というのはリアルに考えてあまりほんとうのこととは
思えない
そうであってなお教師がなにもしないのもそれはそれとして
おかしい
映画的な省略もある

あるけれど

それでも

そんなにこわれている世界(コドモたちへの
インタビューだってストレートにわたしはノーマルなコドモだよ
って言うようなコドモはひとりもいなかったように
思う)
の中で叔父と甥が
すこしだけでも
なにかを吐き出すことのできる場所と時間が
できたことはいいことだと思わないか?
というちょっとした些細な
瞬間

についての映画なんじゃないかなあこれは

それがすごく

PRECIOUS


ことだって

そう思うんだよオレは
オレも

そうじゃないかなあ

他人とか
ものすごい久しぶりにあった親戚に対して
こころをひらくとか
抑えていたものやことを
あえて言うとか
それって
言うほうだって
すごく
ひらくためのパワー(と信頼するギャンブル)が
要るんだって
おもうのさ

なにもかもをかなぐりすてていいって思ってるわけじゃないから

あと孤児ごっこ
孤児だったとしても
愛される
だろうかっていう
試行なのかなあ

fainted
気絶するのは
ジョニーが
仕事しながらフルでジェシーにコミットしようと
してダブルでタスクを精力そそいでたらエネルギーが
きれた
ってことさ

このあとのポールが家にいる3人家族の生活こそが
大変だと思うけど

そこは想像力

あらゆることを
想像する
そしてそれが起こらないとして
違うことが起こる
起こってもなお前に進む前へ前へ

それこそそれがこのさき10年の指針だよ
オレは10年後は62か

海外いきたいよそれこそ
観たいよ
風景を
空気を