びっくりポイント
cogito, ergo sum
を修正して
ego sum cogitans
と言い換えている
「私は思惟しつつ存在する」
同時並行生命進行!
・デカルトは「神の存在及び精神と身体との区別を・・」と
人間は精神と身体からなることを自明のこととして証明なしに
のせてくるが
スピノザにとっては人間が精神と身体だけで成るなどということは
とうてい自明ではなく
疑ってかかるべきフレーズである
(もちろんそれは人間というものは
最終的には精神と身体から成っていることが
証明されるであろうてが
しかしそれを検証する思考して確かめるまえに
それを自明とするなんてとんでもない!)
・ここからオレの感想
スピノザが書いたものであるが
やっぱり「哲学者が他の哲学者の著作について書く」こと
それ自体が異例のことで例がすくないんだってさ
そして
「幾何学的」な方法(1,2,3,4・・・)
公理をつみかさねて最終的に結論(証明)にいたる
という書き方が
デカルトにとってはあまりなじみではない方法だったのでは
ないかね
という疑問が呈される
スピノザにとっては厳密に行う上で幾何学的な論理積み重ね構造は
お手のものだった
さてなにがそこで違うのか
幾何学的
という言い方は数学の技術の上になりたつもので
当時の数学が欧州においてどのていどの
ものだったか
スピノザは17世紀人であり
レンズ職人でもあり
手でも計測し
計算による数学のための数学もおてのものだった
と推察されるのだが
それがいきいきて最終的にエチカみたいな
公理系の宇宙になってしまう
まったくもってスピノザほど
「スピノザってこんな人」って
200字じゃあとてもいえないよねええ
(ホッファーは「200字で言えないような思想は思想ではない」と
言ったそうな・・)