gogo2

さすがに昼寝はやめて

図書館いってきた

新聞よんで

(小説は自転車パンク修理を断られていた・・・

買えっていうのよタイヤを

かなりの高価でね)

2Fで『スピノザの方法』つづきを読んでいた

(ときどきねむくなったがまあまあ目がさめてきて

よめる)

わかるところと

わかりそう・・・なところと

わからんところがある

なんかこう

スピノザデカルトとはかなり違う方向で考えることを考えている

ことがわかる

だがそれは精緻に言うとどういうことかというとわからん

論駁しないというその方針

それは論でねじふせることをしないということ

なぜならば

「真理に達しているということは真理への方法を知っているということに

ほかならず

知っていることを知っているなどとわざわざ重ねることはない」というので

ある

そうすると一見その方法は誰から誰にも伝えられないことになりそうだが

そういうことを言うのではなくて

「わかる」ときにはもうわかっているということを言っている

だけなのである

それは各個がそれぞれ実践するしかないだろう

ってこの話はね

佐伯胖先生の本でも読んだし

なんかこう教育にちょっとでもかかわるところの真理として

色んな所に出てくるのである

スピノザの方法 においても 結論の部分でその話は

出てくるのである

感動したのでこぴーたのんだ

 

あと

あとがきにおいて國分は

デカルトについて

どうしても

デカルトのことをどうしても考えたくなる

ひとりで考えたくなる

と言っている

誰からも反論されるようになっているデカルトであるが

それでもそうなんだって

 

本文には

デカルトを論じるスピノザ(『デカルトの哲学論理』)

を論じるドゥルーズも登場する

ドゥルーズが大変最近気になっているが単著で

わかりやすくおしえてくれそうな本がない

わかりやすさを彼にもとめるなどオレの愚もきわまったぜ

はははは