アイデアとしてジェンダー

ジェンダーという「概念」は

あるいみ便利といえば便利で

それこそ

農奴が収穫の麦などがこぼれてるのを必死に拾う」

(『中世イングランドの日常生活』)

とか

「掃除」

「子供の世話」

「エールをつくる(醸造)」

(エールについても『中世イングランド に詳しい)

そういった単純な費用対効果がすぐに見込めるわけではないタイプの作業

を担ってきたのが女性であることが歴史的に多かったのは

女性がそれをすることが「向いていた」のではなくて

女性のほうに「女性的資質を必要とする作業の精神的枠組み」をもっている人が

多かったのではないかって考え方のアイデアである

「~の枠組み」とかいっててあたまに「女性的」ってついてるから

これでは定義としておかしな定義なんだけど他にいいかたがまだオレの中でみつからない

ともあれ

そういう資質をもっている人は当然男性のほうにもいるわけである

料理

髪を整える作業(他人の)

清掃

いわゆる「事務」

そして子供の世話

 

いずれにしても「短期的な成果をみるものではなく日々それを継続していって

結果的に結果はもちろんでるのであるがそれ以上に日常的にそれを

継続していることそのものに実存的価値がある」分野といえる

毎日それはしなくてはならない

子供のせわは1日だって欠かすことができない(死ぬから)

掃除1日しないと一日ぶんよごれる

事務(経理とか)1日しないとカオスが増す

 

オレがなにを参照引用したくなっているかというととある人の

日記なのであるが直URL引用できないのでオレの記憶から

ひっぱりだす

 

かれ(たぶん男性)は

大学の先生などして

そのあとやはりそれはやめて

いまは(おそめに)コドモがうまれてそのコドモの世話

に「おわれている」のだそうだが

かれによればそれは「プロジェクトではない」というのである

だから達成感とかないのでそれは

かれは彼にとっては達成感がないのは問題であって欠落である

とかいうのである(あくまで大意です)(

 

しかし子育てと子の世話が「プロジェクト」であってたまるものかであって

理由はもう上に書きました

 

そういうことができるとか向いているのがジェンダーとしての

フィメールのジェンダーをもつ人なのではないかっていう仮説で

 

もちろん女性の中にたまたまそれを持っていない)(向いていない)人も

いるわけである

男性の中でそれが向いている人がいる

のも事実である

 

まあジェンダーいうのは「社会的」な

ソレであるというから

あくまで人間が2人以上いるときのソレなんだと

思うわけであるよ役割

 

ここに「いわゆる女性的なところに文学もはいるのか?」とか

言い出すと話はどんどんややこしくなるので文学はここには入らせないぞ

 

オレは「仕事」とか「プロジェクト」とか

「作業の分類」とか「労働」とか

話をしているんだよ