日曜の朝

土曜ー

 

たしかに週末になると図書館は混むようになり

やっぱり平均的に考えて女性のほうが本を読み理解して

思考する能力が高いのではないか

(根拠なし 印象のみ)

そのほうがいいのではないか

 

いわゆるブルシットジョブについての本をかりてきたのだが

 

なんだろね

 

なんといいますか

 

人間が集積する仕事があるじゃないですか

人間の手で人間を世話するみたいな仕事

たとえば看護業務とかあるわけですけど

圧倒的に女性割合が高率で

 

これに「女性じゃなければできない仕事だったから」という根拠は

無い

 

単に「戦争をするのは男性のほうが向いている」(根拠なし)

とされていたので兵士は男性が多かったのだが

しかし

 

戦争する人間が女性はいなかったかというとそうでもない歴史がある

 

とはいえ

 

そういうの考えはじめると「既成のもの」に根拠って

ねえな

というところから開始するといろいろ瓦解して

しこうそのものを

うまく組み立てられなくなっていくのである

 

まあたしかに

昔は「出産こそ機械にやらせるのだ」という思想を

何バカいってんのと思っていたが

いま21世紀のオレがあらためて思うに出産こそ機械に

やらせたほうがいいのではと思うこともあるわけで

 

なぜならいちばん「肉体的負担とそれに付随する社会性と他人からの

ぶつけられる意思などの悪を軽減するためには」機械がいい

と思えるからである

 

つまりそれはそもそもがハンデキャップに属するようなことではなかった

はずなのに(妊娠中の女性が生物として脆弱?というか闘いにくい)

なぜか野蛮な現代社会では脆弱とか自らの能力不足みたいな間違った

認識を

くっつけてくるのがおかしいのであって

 

あと育児をやりたいやりたくないで区切るのもおかしいことで

やりたくないのに押し付けられていると思えば不満(夫からの

暴力的なおしつけ)が生まれストレッサーとなるに決まっているのだが

じゃあなぜその夫はのうのうとしていられるのか

おかしい

わけである

 

そこがそんなに個人的な二者の間でさえも解決しないなら社会全体で

解決するわけがない

 

とか思うのであった

 

いろいろ

 

ポッドキャストのおなじのとかいろいろ聴いてみるのだが

やはりどうしても女性が二人で話しているポッドキャスト

何回も繰り返してきいており

 

思えば「久谷女子」同人誌をあつめて読んでいたのも

女子会のそれだったからであって

 

ぜったいオレとおなじく

男性中心会社みたいのが大嫌いで体育会系の屑どもを軽蔑し

しかし女性の中でひとりでもたのしくやれる(看護師男性は本当に

メンタルすげえと思うのだが)ような能力も適性もないので

消費する音楽文学ラジオ音声ポッドキャストグラビアポスター

アニメその他全般で

 

途中まで書いていてちょっと異様感がわいてきた

 

「そういう〇〇的なものばかりを選んで消費するようになっていったような同じようなやつがオレの他にもいるはずだ」と書こうと思ったんだが

 

いや

 

いると思うね

 

べつに女性の鉄ヲタだっているわけだし

そこに性差をもちこむのはおかしい

と思うわけよ

 

名鉄と名古屋地下鉄がもうちょっと連結よくしてたらよかったのになあ