重要な感想

ということで床屋にいくためにモールにいって

髪を刈ったあとにモールを

 

久しぶりにきたのでぐるりと一周あるいていた

つい昨日まで商業施設同じようなのに勤務していたので

比較しながら見物している

資本がちがうのにいる店の並びというかいる店たちの

その商号つまりチェーンつまりおなじ名前の店

がここにもあそこにもどこにでも同じものばかりがいるのである

あるのである

しかしたとえばあそこではネイルの店が廃業閉店し

あそこでは継続営業したりして

しかしまあ

本当にほぼ同じ内容のセットがあそこでもここでもあちらでも

同じようなラインナップでそろえられているのは戦慄だね

 

へんな雑貨っぽい店とか駄菓子を扱うガジェットの店とか(注・ヴィレバンではない)

あとファッションブランドとか

かばんの店とか

コンタクトの店とか

中にはわずかにここの地元にあった店がこのモールに

はいったんだなというのもあるけどね

 

さて重要な感想はいろんな人が歩いているモールの中をあるいている

のをみているとふとそこでオレが

ここにいるほとんどの人は今日と明日そして来週そして来月

今日と来月はほとんどまったく同じ生活同じ仕事

同じ環境がつづいていくつまりそのままで生活は同じように

継続していく

仕事している人は仕事しているまま同じ仕事で継続し

学校かよう女子高生は同じ学校にかよいつづける

そして高齢者は高齢者としての無職のままで無職でありつづける

オレだけがこのさきのこの先知れずのわからぬただようやつで

先がわからない可能性まみれの野垂れ死にもそこに可能性としてはいる

くらいの不確定性をかかえていきてるんじゃねえのと

一瞬思ったわけだ

 

しかしそれは実際はまやかしで

高齢者は突然死ぬし仕事してる人はとつぜんカイシャが倒産するし

学校はまあ進級して最終的に卒業するし実際は

人間がかならず死ぬのと同じくらいに不確定性と終わりがかならずくる運命の

逃れられない様子をみな全員かかえているはずだが

かりそめにそれはまだこねえかと安心して錯覚してるだけのやつらがこいつらで

オレは自覚的になっているだけのちがいではないかとも思ったりして

じっさいこれは

ただの

認識を「このような認識をすれば」というだけの違いでだれでもいつでも

認識の違いをつくることはできるのだる

 

できる

 

そうです

脳はそのくらい自由だしじっさい騙されやすいということは変わりやすいと

いうことだ

 

そうだね

そう思うよ