あっちに月刊で書くやつの下書きを考えるにあたり
移住について考えるの巻
の文章だがつまり
外から来た人がいてわるいということもなく
いられる限り
でいいんじゃないのか(所詮その地の人にはなれない)
ということで
なにも「その地の人になれない」ことを悲しむ必要もなく
さかのぼればその地の人だってたまたまそこで生まれたに過ぎないので
ある
仏教的にいえば地と人はリンクしてるわけじゃないということだ
人はたまたま魂がはいってうまれてくるがランダムであるし
選んで生まれてくるわけでもないし
産まれて同じところに生活しているとえらいわけでもなく
だいたい「えらい」のは自称だし
自称でなんか言うやつはおおかたうさんくさいし
他人をいじめる側にまわろうとする
そういうやつらである
みたいな
ことをオレは考える
移住そのものはたぶんオレははるか昔こどものころから
考えていた(記憶捏造でいい)
「心のあこがれエンジン」という造語をかんがえた
誰でもそれを心にもっている
あこがれが人をうごかす
ある場合には推しかもしれないしある場合には食い物だったり
ある場合には他人に会う日をたのしみにしているのかもしれないね
それがみんなあこがれエンジン
ことばの音のひびきがださいので題名につかえそうだ