むりやりはつながらないだろ
『負債論』をいちおう読み終わった(あとは訳者あとがきだけ)ので
そこでこれをたとえば
『アディクションと金融資本主義の精神』とつなげることはできないかとか
ちょっと思ったが
むつかしい
鈴木直先生はどっちかというと「市民社会の基盤を人間と人間の契約をするという紐帯に基礎づけてくれた功労者がいるのに
いまの金融電子資本主義はますます短期的利益を偏執狂的に追い求めてるあたりはもう紐帯とかどうでもいい方向にますます進むそれはアディクション」
と言っているんだとオレは理解しているのだが
グレーバーのみかたではおそらく「資本主義はについては市場とはまた別のものであるということが重要で
貨幣のはじまりが物々交換は煩雑面倒だというフィクションは嘘なのでおいといてよくて
基本的には
資本主義はそのまま永続できないことがあるのに一部のバカがそれを永続させたいがあまりに馬鹿な政策をつづけていることのほうが問題なのでまずは市民が世界を変えることできる主体であることを思いだしてほしい考えなおしてほしい諦めないでほしい」と言っている のだと思う
どっちも融合させないかぎりにおいては正しい方向を打ち出していると思うし
短期的利益をしゃにむに追いかけるのは間違っていると思うし
世界が軍事費のために国家が予算をつかうような国債の発行を止められないような世界が全体がおおよそいいかんじに暮らすことができないような現状は変えていくべきとオレも思う
アイデアとしてピケティのいうような平等化に向けての前進が可能なのかどうか
は
分からん
難しいような気もする(税制の問題を国際的に解決はまだできないので各個別国家の政府の課題になってしまうがこの個別国家がまたどうしようもない)
だが方向としてはそっち(平等の旗)しかないような気も
する
われわれは自分たちがおおよそわりとバカですぐなにかにしゃにむに
突進してしまう(考えもせずに他人の言うことをうのみにしてしまう)
ので
そのままでは穏当な平等化なんて夢のまた夢なので
もうちょっと各個人が考える脳を使わないといかんとは思う
アディクションの反対である
なるべく熱狂してもメタ視点の自分を保つ理性いうかね
そうすればいまやってる衆院選のやつらの「政策」とかいってる
文言がどれもこれも実現においての困難さをまるで勘定に入れて
いないでただいうだけなのだということが分かるであろう
だからオレは腹がたつのでそういう文言がテレビラジオから出てきたら
消すのである