アナキズムと福祉
アナキズムが「個人の自発的意思」だけを
ドライブの原資とする
場合には「助け合いからこぼれるような障害者や老人」は
ほっておかれるって?(仮説)
これへの反証があればいいのね
へえ
森戸事件もクロポトキンもこれから調べようと思ってるもの
であるし
アナキズムだってオレがちゃんと知ってるわけじゃない(アナキズムを
ちゃんと知ってるといえる学者さんは誰>?)
アナキズムほどそれぞれの学者さんのそれぞれの理解がありそうだ
っていうジャンルは他にはないのではないかとか思ったり
なぜなら徒党を組んで学会をつくって皆でわーわー言ったあとに
「ひとつの結論を」「ひとつの綱領を」とかまとめることこそが
最も反アナキズムな行為だから
だと思ったり
はあ^^
参考資料
http://www.jasca.org/onjasca/president/president28.html
日本文化人類学会2018会長挨拶
さてこれが大変にいろんな示唆に富んだ会長挨拶であるがこれにより
オレは「J.C.スコット」という学者さんの業績の一端を垣間見ることができる
のれんのスキマから覗くことができる
清水会長 というか清水展(ひろむ)氏は研究者であり翻訳書もやっている
一般向けの書籍は出していない感じがする
そこはよくわからん
ともかく清水氏が語るスコットの像は
アナキストではあるが
無政府主義というよりは
「政府・国家にかわる代替手段としてのなにか(まだ名前のない)」を目指して
いきたいという主義である
引用
”スコットさんご自身も、自分はある種のアナキストであることを認めています。が、彼のいうアナキズムは、日本語で無政府主義と訳されているのとは大きく違っています。無政府主義ではなくて非政府主義、つまり政府に頼らない、国家と資本に支配されない、それと是々非々で対峙しながら人間の自由・自主・自立・連帯を基盤とする生活と社会を、地域住民やアソシエーションの絆をとおして作ってゆきたいという希求と、その実現を目指した運動です。
彼によれば、国家は常に監視し、支配し、税金を取り立て、人々の生活と活動に介入しようとします。確かに国家が対応すべき領域があることをスコットさんは認めつつ、しかし過剰な監視と支配の貫徹は、必ずしも人間の潜在能力を十全に発揮させるものでない。国家のレーダー監視をかいくぐって低く飛ぶこと、足腰を強く柔らかくして軽やかに自由に活動できること、そうした個人が自主的に社会を作り上げてゆくことが大事なのだ、と彼は言います。”
引用おわり(出典は上記URLにおける「会長挨拶」)
こうしてみるとスコットはなにも「政府・国家を解体せよ!」とは
言っていないということになる
ただ 政府・国家による機能のメリットデメリットのうち
デメリット「支配・監視」をなるべく遠ざけて
個人の自由・自主・自立・連帯による方法でもって
いま政府のやってるような機能を代替させられないもんか
みたいなことかなあ
つまり国家は収税して
収税してあつめた金を社会保障にまわすわけですが
収税は罰をともなう(脱税をとりしまる)し
社会保障もその労働の賃金を固定する(行政による社会保障サービスの報酬決定権)
どっちも監視と支配のシステムであります
それこそグレーバーとか読めば「労働と賃金のリンクを分断せよ」と
なるわけだが(労働が賃金の高低で価値判断されないように)
ケア労働は「進んでやりたくなるようなものだから価値がある」のだという
原理を再発見するように(なぜなら他人のためになることをすることは
ブルシットではなく行う側の喜びにもつながっている(意義のある)(社会に
とって有益であることを直接たしかに感じられる)
という
話
しかしここではまあスコットがそういう考えでやっているとまでにとどめておいて
それで最新刊ではスコットは『反穀物の人類史』などを著すわけですね
穀物生産の過程で人類は自由から追放され隷属社会ができあがった国家にからめとられたのだという話になるのであろう
どうにかできんもんか・・・って話でね・・・