ひるめしうまかった
(豆腐メイン)
最高
味がしみてるから御飯のおかずになる
さて
1600
どうするかね
1900から映像研なのでこれはOAでみないと
いけないことになっている
でも風呂がね
そうね
昼寝してる暇はない
あるか
あるよ
車で仮眠しよう
そしてジムいって風呂はいろう
そうすればながなが寝ていることはないだろう
かもね
かもね
ひるめしうまかった
(豆腐メイン)
最高
味がしみてるから御飯のおかずになる
さて
1600
どうするかね
1900から映像研なのでこれはOAでみないと
いけないことになっている
でも風呂がね
そうね
昼寝してる暇はない
あるか
あるよ
車で仮眠しよう
そしてジムいって風呂はいろう
そうすればながなが寝ていることはないだろう
かもね
かもね
とりあえず米が焚けた
いま蒸らしている
そのあいだにラジオききながら
おお
これも延々長大な項目だな・・・
しょうがないか読むよ
ところでいま思い出したので書きますが
「BLの教科書」においての歴史の記述で
1980年代の少女漫画において
男性たちの集団の漫画
とか
少年を主とするような漫画
が流行りのセンターに近い場所で人気があって
しかもそれらは別に性愛を描いていない
どっちかというと友情
というかシスターフッドに対するボーイズフッドみたいなもの
を
ある種かわいくある種たくましく描いている
あたりの話が
あり
まあオレが記憶あるのは
とか
ツーリングエキスプレス
とかなんですが
(伯爵と少佐が楽しそうなのはゲイ設定が堂々としているので
ここでは除く)
で
当時の花とゆめとかそのへんを記憶から思いだすんだが
たしかに
そうだね
で
そのあとなのかそうなのか
1990年代
羅川先生が赤僕を描いたあとに
ニューヨーク・ニューヨークを描くわけだがそれを
よめばこれは男性同士の愛?と
そのものずばりで読めるんだが
それはそれでいいじゃんねとか
思って
つまりオレが何をいいたいかというと
姉の影響で少女漫画の1970年代からのそれを読み始めていた
高校生のオレ(1980年代後半)Iにとっては
少女漫画の中に男性同士のそれが入っているのは当然のこと
として受け止めていたということになるが
だって当たり前のようにそこにあったんだもん
それにしても評論雑誌ではなかったかもしれないが
ファンジンなのか
ぱふの存在は確かに大きいものがあったんだね
オレだって帰国してまず最初に
いまの日本の少女まんが!ということで
ぱふを買って
これとこれを読むぜ!と意気込んでいたわけだ
なつかしいね
ガイドとしての役割
調理しておかずをつくりそれから
米を炊いている
間にサンソンが1400~1500で
OAしている
まるまる家でサンソン聴くのは
けっこうはじめてに近いかもしれない
あっち( #ns954 )を
ききたくないからです
しかし音楽はすごいね
Anne Murray You needed me
Sarah Vaughan Wonder why
重厚な声
メロディーのたゆたう
淀んだ渕に落ち込んでそのまま死んでもいいくらいの
ねっとりしている
かっこいい・・・So cool
すごいなあ
こういうのがリクエスト特集ですっとかかるからね
ヤマタツは死ぬまでラジオやってほしい
わがまま視聴者リスナー
もう
ごごだが
まあ遅くなっても困らないので
米を炊くことにした
さっきこげついたメスティンを酢水で加熱してからこすると
きれいになる
ときいて本当だったことを確認した
すごいね酢
というわけで米を炊き料理もして
おかずである
自炊は気力だね
まあ
インスタントが速くていいときもあるですが
どっちも全部そうってわけにはいかないのよ
写真は今朝とってみた雲がうつる川
図書館いってきた
「BLの教科書」読むためである
ああ面白い
性もあるし愛もあるよ
あとインタビューね
西炯子先生のJUNE投稿の話はおもしろいねえ
そのあとにある「内発的なものがおもしろくなくなってしまった」ところ
から
「ニーズに応じて描く」ようになり多作になって
売れっ子になるのであった
だがこれはそんなに単純な話ではないし
同じことをすれば皆売れるかというとそうではないので
一面しか見ていない分析になってしまうのだる
なんちゃって
田亀さんのなぜゲイ雑誌にコミックを描くようになったかも
おもしろかった
・ゲイ雑誌はあるいみコミックへの拒否反応が強かった
(あんなものではヌけない)
・ゲイコミックとBLコミックは非常に近いところにいる
・でもやはりBLはどうしても出自から少女マンガの系にいると思う
あとは百合とBLは似て非なるものだって話ね
百合は
そうだと思えばそれが百合で
どこからきたかというとマリみてだ
というんだが
まあ今現在につらなる百合だったらそうなるんだろうな
しかし百合は真剣な百合と日常の緊張しない百合とにわかれていく
緊張しない日常の百合が4コマになって芳文社がそれをひきうけるのだ
とかね
じゃあらき☆すたは百合なのか?
とか
わちゃわちゃしてるのは違う
のかとか
しかし女子しか出てこないし楽しそうだしな・・・とかいいだすと
きりがなくて結局
百合はジャンルとしてくくれない
のでは?
という結論にいたる
一方でBLは”ジャンル”であり
その周辺のコミュニティを含んだ膨大なものであり
BLフィルターをかければなんでもBLであり
サムライトルーパーでもキャプ翼でも短歌でもなんでもBLにすることが
できる
みたいな考え(発想)がBLのつよさというかパワーというか伸縮性というか
おもしろい
関係性萌えとかいってたら思考停止してしまうのでそういう
ワードをつかわないようにする
ひるめしどうしようかな
なんかだるいとばかりに布団の中でごろんごろんしながら
ASMRをイヤホンできいたり(mariko先生とか)
ネットもテレ東でスナックキズツキを見たりうとうとしたり
そしたらやっとトイレで
おそらくは奥のほうにあったであろう蓋されてたうんこが
出て
そしたら脳がおそらくはすっきりしてきた
これが脳と腸の神経細胞の連携ですね
これはオカルトではなく
腸は腸内の神経細胞がちゃんとあるしそれは内臓感覚にも
直結してますしね
加齢によって「常にちょうしわるい」ことってあるじゃないですか
あれの7割くらいは原因は腸ですね
とはいえ
どうすれば腸内がなんとかなるかってそんなん
菌とかいいますけどどうせたどり着くまでにほとんどは死滅して
るんだ
食って寝るしかないじゃないですかあとはインナーマッスル
筋肉がないといきむこともできん
COPDにでもなればいきむのも苦しいからできないけどね
全く我々は全身一体装置でホールボディコントロール一元なのよ