メモ フロイト エディプス・コンプレックス

オレはよくわかっていないなりに断片

つまり「幼児期のセクシュアリティがあり欲望があり

それは一旦おわる

そして14歳思春期中2病の時代がくる

ここからあらためて本格的に「人間と人間の社会」に入って

いかねばならない~好むと好まざるにかかわらず~

というときにその「他人を欲するような愛慕のこころ」が

幼児期に素朴にあった乳房の乳を飲みたがりそのやわらかさの代用

を口唇とか指しゃぶりに求めたようなこころが

あらためてそこに湧き上がってきて

どういうふうにそれを自分で処理すればいいのか

オナニーすればいいのか

それでおさまるのか当然おさまらない

どうすればいいんだ~~

という嵐

 

が来る人もいれば来ない人もいるしあとでくる人もいるだろうし

 

いわば大きい困難をかかえて自室から出てこなくなる人もいるでしょう

 

どうも他人がいつもそこにいることが邪魔でしかし

たにんとの「交流 Transaction」を求めるこころも)(はじめから)

あるという

あるのか

あるのかなあ

 

とにかく他人であり

たにんには言葉は通じないし

たにんとの間はマウントの取り合いだし

友人だよズッ友だといっていてもいつしか疎遠になる)(そえ~~ん~|~のテ^マ)

 

人間社会はとかく生きにくいしますます「なにかの規制に縛られてる感じ」が

どんどん強まる21世紀

戦争が終わらない21世紀

 

フロイトが考えたことがいまでもありありと現実的でありかつ現代的

 

人間の思春期の嵐の解決方法なんて

ない

 

つくづくあの小説はいい小説だったなあ『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』

思春期からくぐりぬけて大人になっても

終わらないつながりがある

あるのかもしれないあるだろう

あるね

大きい喪失を経てなお

ある

 

あることもある

ないこともある

 

 

メモ

グレーバー負債論

 

これは『MMT講義ノート』島倉原

にあった中での言及があったからやっぱこれよまんといかんわ

と思った次第

結局「貨幣の起源」に話が収束していくかんじがするのである

人類学もアナキズムも経済学もみんなそうだ

 

「負債を返さなくてはとおもうもうしわけなさ」なのか

「してもらったことのお返し」なのか

「迷惑はかけあう世界」なのか

 

リベット著 『マインド・タイム』 岩波書店

これはなんかそれ系の著作リストを読んだ終風氏が

これだけは

みたいな評価をしていたので気になった

リベットは自由意思と脳科学の話の人らしいぞ

つまり「やろうと思う前に脳は電気発信を開始している」である

 

それがどうしてそんなに重要なのか?

素朴な直観としてオレはそんなことがあったとしても別に

「だから自由意思は存在しない」とは思わないんだけどね

どうしてそう思うの?オレに説明して?

って思うわ

 

あとじじいにもなって感情ちょっとしたぷんすかむちゃぶくれ

怒りをおさえておけないやつは児戯的な人間だなと

思ったがじじいだからこそ前頭葉抑制がきかなくなっているのかも

しれないね

児戯的って

ふつうは言わないか

児戯に等しい」とかいうけど

えっと

くだらないな=~幼形でさ~~といいたいわけです

 

まあなんでもいいか

 

脳科学と心理学みたいな話も好きなんだよね

 

フロイトの話(100分名著)が第三回で

いよいよ「エディプス・コンプレックス」になった

どうしてこのそれが「夢の中での願望充足」なのか?

本当にそうしたいからじゃないよね?

なにかのかわりなんだよね

父をころしたいのは何のかわりなのだろう(昔読んだような

読まなかったような)

へえ~ほー

 

 

読書「大脱出」全然途中だけどさ

要旨(何がいいたいのか)を

わからんのでAIにきいて見ようかとも思ったが

意外とアマゾンレビューに誠実な(かんじのする)のが

たくさんあったのでだいたい要約可能

(ここには「他人を信じることにする 一旦」というオレの意見がある)

 

それでこの

 

みすず書房『大脱出――健康、お金、格差の起原』A・ディートン

のいいたいことはなにか

・格差はあるが格差はよくない(なくしていくのが望ましい)

・だから格差はなぜ生まれたかを考えたいー調べよう

・もちろん経済的作戦ー金持ちがつくった金持ちのための制度ーが格差をつくっていることもある

・しかし「健康」という尺度では健康で長生きであることが格差を解消に向かわせるファクターでもある)←ほんとに?

・健康で長生きする人が増えると経済は成長する←それは本当だろう

しかしそのことで他国との経済格差は変わる?

さあ?

まあでも「経済成長」を先にすることが大事なんだろうきっと

中国も印度もね

・あとは国と国との問題だ

・いまあるODAなどの金を渡す方式はほとんど役に立たない

・提言としては役にたたないことをやめることだ

「援助」が有害であることを示す

 

こういったかんじだ

 

Amazonレビューでも指摘されているが

「おそらくは訳者の能力か本人の著作かどっちかあるいは両方が

論旨を明確にする能力が不足しているため

わかりにくくなっている表現と

AI的な「この本の内容はこうです」と短くまとめようとするとそのときにあらわれる内容の分裂が存在する

すくなくとも「ひとつのこと」を言うのではなく「いろいろ言いたい」系の本であることは事実としてあると思う

 

こないだの「孤独うんぬん」の本も「孤独の定義はしない」とかいうもんだから内容がバラバラになっていた

してきするだけでは意味がないのになあ

である

 

でもまあそのうちの「健康は(経済に)重要だ」と「国家間援助はやめろ(それよりは援助ではうまくいかない原因を注視し変える方法を真剣に考え実践したほうがまだいい)」という2つのことは大事な主張ではある

 

基本の理念「格差は問題であり改善すべきである」という理念は

なぜそう思うのか?

は哲学のほうで語るべきということなんだろうか

経済学者は「方法」をさがすほうが大事ってことなんだろうか

だから「格差はわるい」を再考することはない

んだろうか

「わるいに決まっている」>?

それは思考停止だわ~

4月16日(火)

かようびですよ!

まだ月曜AdoちゃんANNがなくなったことがしっくりこない

わけです

まあ全部録音あるが

 

あるがねえ

 

吉良先生のよればノージックの語るところの人生とは

”人生において追求されるべきものは、閉じた体系のなかにある「価値」ではなく、「現実」という外部から供給される「意味」である”

ということなんだそうだ

出典:

人生は強いられず、ただ示される|ちくま学芸文庫|吉良 貴之|webちくま

 

この「現実」こそが「他人がいる環境」なんじゃないのかなああ~

つまり外部(自分の内部ではないもの)だからさあ

そこに他人が(必然的に)いるわけだよ

 

 

もうひとつきのう さよなら人類

きのう のはなし

 

姉と話していて『三体』が

「人類なんか滅んでしまえ」という話だという話だったんだが

 

NoFuture(エーデルマン)の話もまたつきつめて言えば

クィア万歳人類滅びよ子供うまれぬさようなら

ということではないかってことなんだよオレが考えるところではね

 

それは現在にたいする絶望なのだと思うべな

 

誰だってそうだろ

4月15日(月) 移住と自分の死について

移住と自分の死について

(この2つは関連があるのでここに並べて書いている)

 

・ここでの中心は「こわい」ということで

・昨日姉と話していていくつかの論点はすっきりしてきた

・いろいろ迷い(世間の他のやつらがしていることとの比較)もあったが最終的な現在にたどり着いたところではまあまあここまでの選択と行動によって今がありそのため世間の他のやつらが家族なるものをつくる(再生産)ことにしたのと比較してオレは家族なるものをつくらずパートナーのいない生活人生を選択したのでメリットとデメリットがあり

・メリットは「住むところと死に場所をこれから(選択して)選んでそこに行けること」である

・デメリットは「死ぬときがひとりなので全うけとめ」ということである

 

このデメリットは正負の両方の意味をもっており

なんなら最終的に「こわい」のは何かといえば

 

・一人で自由な死にかたをするつもりだったが遂に最終的に

自由に一人で死ぬための行動も移動もできなくなるとか

痛みその他の苦しみでつい救急車を呼んでしまって入院したらもう家に帰れなくなるとか

そういうことによる「行動選択の制限」が最終的にやってくる可能性が高いということだ

 

・これがどのように「こわい」のかといえば

こっちが弱ってきて動けなくなって口ではなんといっても周囲の人間(他人)が

なんか言ってきて心配だからとか誰かの迷惑だからとかいって最終的に施設に収容されてしまってさらに行動の制限がついて自由に外出もできない(「心配でしょ途中で倒れられでもしたら」)ということで

結局監禁死をむかえるというEp.がいちばんおそろしいシナリオなのである

 

・これがもし「パートナー」がいて理解があれば最終的な最終段階まで

よく話をして理解しあっている場合には順番で行動の自由をさいごのさいごまでは

確保してくれる)(はず)で

最終的に寝床から動けなくなったときにはもうそれは覚悟ということでそっから

先は自宅死でも入院死でもあんまり大差ないかんじになっていくが

ポイントはそのちょっと手前の「ぎりぎり行動の自由がある」場所で

どのくらい自由でいさせてもらえるかが重要なのである

 

・こんなにリアルに想像できるのはオレが前職PTでしかも在宅分野だったため

最終的に自由にうごけなくなるあたりの人間の様子とか周囲の人間の行動

とくにケアマネそして遠縁の親戚とかそういう人

がどういうふうに行動するのかを観て知っているからである

じっさいケアマネは「あのばばあをしせつにたたきこんでやった」とか

いうのである(マジで)

そんなに他人の自由を束縛したいのかね

でもそのケアマネの理由もわかるといえばわかるんだけどさ

大惨事になるのをくいとめるというか・・・

 

・だから問題点は「行動の自由をたにんが制限するというシチュにおいて

それは権利の侵害なんだけど

侵害してもなお他の分野におおきい災害がおよぶならばそれは容認される

のか_???」

という問題設定であると思うんだ

 

・自由を侵害するものを強く糾弾するのがリバタリアンであるし

それはノージックの思想においても最終的に一貫していたところだそうだ(ノージックは生涯にテーマをいろいろ変えて著作をだし考えつづけていたがその自由に関する考えだけはずっと一貫していたしそれがリバタリアンの基本概念だ)

それが「反強制主義」である

 

ちゃんとオレの個人的思考としらべてみたい哲学はリンクして関連してつながっている

 

アナキズムにつよく魅力を感じるのも国家行政による「自由の侵害」が許せないからである(その反面・・・というのもあるにもかかわらず)

とくに警察行政と戦争暴力が許せない

 

さてそのように「自分の死」から自由について大きく考えるのと同時に

移住

は何のためにしたいかといえばもちろん大きい自由の中にある「住まい方の自由」のことである

生まれた場所がきらいなら違うところにいくしかなかろう

(嫌いでも我慢していることほど人生を損うものはない)

 

オレはこの静岡県西部のどうしようもなく産業工業企業城下町風土が大嫌いなのである(そういうのからのがれられるとも思えないが)

農業とて産業であり人間をそこなうものであることは承知しているが

温泉もわかないような土地に住んで死んでいくなんて我慢ならんのである

長野県が田舎で荒廃しているのは知っていてもやはり温泉であり

岩手県もやはり荒廃があろうとも温泉なのである

そして北海道の多種ゆたかな温泉

オレがこんなに温泉と人生がリンクしていると思っているとは

自分んでも意外ですがそうなのでそうなんです

温泉が好き

日常的に温泉をつづけたい

それが願いだ

それにはその場所にいくしかないだろう

 

このように移住したい場所のテーマと条件がだんだんととのって

いくのである

・温泉

・よいコインランドリー

・湿気はできるだけ少なく

・山の風景

・東京にできれば3~4時間(新幹線や飛行機コミ)

・よい日常的な食糧を買う店(セコマでも一般スーパーでも)

・車で40~60分程度の範囲に病院やリアル書店やホムセン

つまり本当の秘境に住むつもりはないってことだね

 

あとは

・定期的収入?アルバイト?仕事の有無?

人間関係?

とかのポイントもあるが今だってオレは人間関係がゼロなので関係ないね

 

・親の世話とみとり

これは時間とのトランザクションなのでオレが考えても仕方ないのだが

どうなるかは運だ

 

このくらいがざっと考えられる計画案である

要は金があって意思があればできそうだってことだね

 

あとは土地を買うあるいは家をかりるのそのへんですが

そのへんはねえ~~

どうなのかね~~

 

生活費というものに暖房費が必然はいってくる

ときにそれをどう考えるかだよねえ~~