よい休日(5月を前に4月)

そういえばハリウッド映画をみるのも久しぶりだったんだよ

だからあんなに「映画映画した映画だなあ」と思ったんだろと思った

 

この土日は伊豆半島にぶらぶらしにいったり

豊橋で映画をみたりいい感じである

べつに家や図書館にいてもいい休日だとは思うが

なんせ無職ライフよりは制約おおいので

休日はどっか違うところにいたいと思うのは無理もないのである

 

伊豆半島には観光客は老若男女がいたし

映画館は朝から若者(ほんとうに若い)がたくさんいて日曜のあさから

第一回からの初回午前鑑賞を友達と

みたいな中学生高校生いっぱいいた

映画も捨てたもんじゃない(産業として)

 

夜に風呂いってヒゲそってさっぱりしてコメを炊いて

いまラッキーオールドサンをSpotifyでききつつ蒸らして

さあまもなく食うところである

 

映画館と温泉を両立する方法はないのか・・・ないな

 

オレが言う「温泉」というのはちゃんとした温泉のことだし

「森林」というのはちゃんとした森林(山岳)(火山)のことだ

だからそういうのは映画館が成り立つような都会にはないんだよ

ない

 

両立などしないね

しょうがないね

だったら映画館こそときどき都会に出てきてみるものになるだろ

ごく簡単なことで

都会に常駐するのは家の経費が高すぎて成り立たないからだ

 

まあ北海道といえども土地を買うのか買わないのかとか

問題はあるけどさ

買うときからリバースモーゲージにすることはできんのか?

さあね

 

ラッキーオールドサンいいな

CD買ってよかった

 

あと原田郁子氏が5月に富士山のまわりのどっかでやるフェスに

出るらしいが

フェスも悩ましいね

特別感があるが

なんしょ

遠く

高く

大変な遠征です

一人でやるのは結構大変なんすよ

ねえ

 

テレビにマヌールと水瀬いのりんが出ている(声)

あの騒動どうなってんのかな

だれかその真実をしるものは本人しかいないと

思うけどね^

映画「オッペンハイマー」について

豊橋IMAXで鑑賞2500円は安い

 

オッペンハイマー 物理学者

なんちゅうか本中華

いろいろな人がいろんなことを言っていましたが

結局人間たる男の物理学者が仕事をしたが

権力なるものがあって

オッペンハイマーとストロースというのがいて

かれらはそれぞれの公聴会と審問にさらされるのであった

それはWW2後のことであった

 

オッペンハイマーはストロースの策略によって共産党関連で赤狩りにあうのだが

ストロースも商務長官に任命されるのかどうかという公聴会で批判をうけるのであった

それだけのことしてるしね

くだらない男

嫉妬にうごかされてるただそれだけ

 

オッペンハイマーが「原子爆弾の父」となることになったのは

それなりのやる気があって依頼があって愛国心があったという

3つの「ある」があったからそうなったと思うんだが

そんな戦争の最中に「兵器は愛国とは関係なくダメよ」とは

言えまい

そして科学者が「これを世界ではじめて実現させるのだ」という

歴史に名をのこすの名声もまた

魅力だよね

ストロースみたいなのは地位だけに興味があるんだけど

 

あと事前にオレはしらなかったのだがこの映画にはアインシュタインが出てくる

 

けっこう最初と最後にいるので重要人物である(象徴的な意味で)

 

お話は史実にものっとっていろいろあったがゲンシバクダンは完成

したそして落された

のであるが女がいて

フローレンス・ピューがどんすか脱いでファックしている(そしてそのあと

自死なのかわからんが死ぬ)

そのあとに別の女がいて結婚したりうんぬんである

 

気になるしーんはその別の女と二人で馬にのって

まだロスアラモス研究所もできていないときのロスアラモスに

馬であそびにきている二人

いい気なもんだぜ

である

 

ロスアラモスのやつらは白人ばかりで

それもまたそうだ

 

好い気なもんだぜ

 

ということである

 

それはそれだけであって映画としてのそれとは関係ない

意図

映画における完成形のための意図はかれらの権力のたたかいと

意思

でも大画面で「原子ー割る(中性子をぶつけて)ー量子的世界」の

映像~CGぽいけどCGではない>?

がよかった

 

あとローレンス役の男がガタイのいい男で

まあこいつもまたあとで敵みたいな感じになるが

こういうエリート科学者って白人にいるよな

と思ったね

 

審問における敵の側のやつ(弁護士だが実質検察官の役)が

ものすごいイヤ~な男なのだが

あんたのその理論は戦後だから言えるものであって

そんな戦前に平和・厭戦主義者なんて公言もできなかったじゃんねえ

アメリカでさえもそうだったと思うぞ

(日本でもそうだったけどね)

 

そう思うと中江丑吉のことを突然思いだしたよ

 

「慧眼であり盲目である」みたいなことを

言っていたね

 

「関心領域」とおなじだ

科学だけが領域でそれ以外はみないようにしている(と「尼は

泣き坂」で言っていたよ)

PODCAST

 

まあ

映画としては映画トータル作品完成度バカ高い映画です

ものすごいまとまっている

120%まとまって十全にまとまっている

そりゃアカデミーたくさんとるわけだよ

 

オレは来週のウォッチメンの「Past Lives」を

やっぱり

みたいんだよね

でも浜松で1800だからなあ

平日に行く元気ある>?木曜とかならなんとかね

街中の駐車場とかね

たかいね

しょうがないねえ~~

てきとうな伝聞からの感想

なんでも感想かけばいいもんじゃないが3つ

・能町さんクイズ

・あのちゃんと峯田

青ヶ島

の3本です(ぜんぶ昨日の記憶)

 

・能町さんがTBSのラに出てきててなんか「これまで言わなかった」過去

について「高校のクイズ研」だった話

ほんとは一人でクイズしたかったが3人一組なのでしょうがない

それで最初にスタジアムで大人数で勝ちのこり目指すが

やはりこの最初の関門が難しくきつくて突破できないのだそうだ

ふうむ

やはり難しいのだなあ

 

・あのちゃんANN0のSPで峯田(銀杏BOYZ)やってきた

セックスとか金玉ひっぱりとか恋愛は好きになっちゃうもんだしとか

あのちゃんによる「何いってんだてめー」拒絶もわかりやすいところとか

いろいろありました

あのちゃんの話をたくさん聴くようになってわかったことはやはり

ゆるめるモ!の時代にあのちゃんは長い時間をかけて脱皮に向けての

さなぎとかだったのかなあみたいな

つまり「中で完全変態に向けて」もともとあったものを一旦どろどろにして

みたいなイメージである

そのあとはもう強いにきまっているよね

完全変態ならばね

 

青ヶ島の話は文春オンラインで読んだからどこまでがどうなん

と思ったがまあ青ヶ島の生育した女性がいま38だか40とかで

YOUTUBERとかやってるが基本はだんだん人口すくなくなっていく

青ヶ島に他人もよびこみたい(それは青ヶ島が基本好きだから)との

事業の人ではあるが

なぜ他人をよびこみたいのか>?というと

昔にくらべて島の人口はじわじわ減ってきていてそれは

まず島の中の民の同士で結婚とか考えるに至らない

なぜかというとコドモのときからひとつの大家族みたいにひとつの

集落で集住しているのでそういう気にならないのだそうだ

 

ほんまかいな

 

そうだとすると過去の人類は狩猟採集段階で絶滅していたはずなのだがまあ

当時のかれらは「その外部」がなかったからだろうな

 

んで

島の外から人がくるためには住むところとか施設が必要なのだが

公的住居は「村の公務員住宅が優先」で

私的住居を建てるにしても資材を島のそとから運ぶことそのものが

ものすごい経費が高いんだって

そりゃそうだ

 

でもなんとかゲストハウス的なものとかおためし移住できる家とか

建てる感じなんだってさ

 

それで思ったが昨日かった古本「山奥ニートやってます」

その人たちは廃校になった小学校の建物に住んでいるのだが

 

まあだれでも「どうやって食い物食ってるんだ金はどうなってるんだ」と

思うでしょうけどオレも思う

それは読めばきっとわかるだろうけど

それでさあ

 

比較で言うけど山奥ニートは15人くらいで

とくにニート同士で結婚とかに至らないのだが

 

しかし著者(山奥ニートをはじめた人)は

結婚して女性とつがいになって生きてるんだよ

 

それは山奥の他にも「外部」がつながっている土地として日本列島に

あったからだと思うんだけど

(島はつながっていない)

 

そんなことを考えたねえ

 

3題である

 

オレの脳はどこを向いているのか

4月21日(日)

しかし 所有でロックから考えたり

人類学をグレーバーから考えたりも

いいけれど

 

地域性というものもあると思うので

いわゆるこの島列島で我々なるあるいは我々ではない人間たちはどうやって

どうしてきてたのか何を組み立てて何を組み立てなかったのか

を調べるとしたらやはりいったん網野日本史

のほうをちゃんと(まえにちら見したことあるけどわからずすぐ挫折

したから)読んでみることが必要なのではと思っている

 

あと吉本隆明がそれこそ古代にさかのぼったり

 

「疎外」ってわざわざ日常語じゃない用語をつかうのはなんでか

(おかげでイメージがむすびにくくて困っている)

 

とか考えている

 

なにの何にしてもみな(’オレ最近読んでるなんかを考えるの本がみんな)

ヨーロッパ文明起源の古典から中堅ばっかりそっちを典拠にしたり

そっちのほうから考えはじめたりして

なんでもそっちを先にしないでということは

考える界(広義で学問の界)では

そっちを先にしないとできませんってキマリでもあるの>?

 

それこそ学問の界でいうところの橋本治

ならば学問の界で江戸時代の風俗として浄瑠璃歌舞伎琵琶法師

そっちのそれははじまりがどこにあったかって

学問界の「先行の研究」を先に置く習慣にしても日本の

それからはじめることができただろう

多分

 

構造主義とかがやってきたのはそれよりずっとあとのことだ

 

別にそっちをかんがえないといけないルールがあるわけでもない

 

というか学問プロパーでやっていくのはそっちのルールに従った上で

その中でまずはやらんといかんからきゅうくつのしめつけで

そういうのがよくない

そういうのを嫌って

学問界のそとはひろいよ

みたいな

 

しかし学問界のような「定まった業界区分と賃金わけてますシステム」が

ないような世界では広くひろい万民に対して問う

必要があるからなかなか「儲かる」ところまで確立するのが

難しいからこそ既存の出版の界に手数料を払って(割いて)それで

著作を書いてそれで儲かる(食っていける)ようになる

ようなところまでだって大変だと思うし

 

なんしょ大変だ

たにんから命令されて手を動かす脚であるくのをするのと

自分のあたまで考えての動きでそれをするのと

 

違うといえば違うだろうし金のはいってきかたがちがう

 

オレは永遠にそういうことが気になるのである所有とか個人の起源

よりもっといまここにあるこの世界でのひとりの頭で考えた行動が

どうしてこんなにマネーにむすびつきにくくできているのか

 

あるいはオレがそれを知らない(わからない)だけで本当は個人のあたまで

行動したほうがマネーは他の方法で調達できるようになっているのか?

投げ銭ファンダム効果?

そっちのほうが更になお「他人の欲望」そのものを金にかえたものだと

思うけど?

熱海そして来宮

帰宅は2150

 

というわけでゆっくり出発して夜帰宅というコースになった

でもいい休日だった

晴れてたし

人民はのんびり観光していた(熱海で)

老人もショッピングセンター内のベンチでだらだらしていた

 

時間つぶし目的でもあったが熱海市の生活圏(観光圏ではなく生活者がいるほうの熱海)をみれたのはよかった

熱海駅からあるきだして途中から上のほうにいったらちゃんと図書館とかあったし(しかし狭い歩道だ)

上から下へと

つまり伊東線東海道本線の走ってるあたりの標高から海まで下がるとすっごい

下がるね

三平荘って和風旅館とかあってね(高い)

(いま口コミみたらバリアフリーじゃないとか書いてあるし)

 

まあ急斜面の街で住むのは大変そうだが

最低限スーパーはあるしその中に書店もあるのだった

そしてソープランドもあるし居酒屋があるしなんじゃもんじゃ

海ぞい遊歩道あってなんかバザーみたいなフリマとかやってた

いい海風が吹いていた

わるくない

あのへん泊まって海ぞい散歩できる

わるくないね

 

白浜のきたない感じにくらべたら熱海はきれいにしてあるほうだよ

 

(白浜を差別している)

 

あとは伊東にいってかえったが

なんじゃもんじゃ

海ぞいから来宮の駅まで登道が直昇で

つまり直登に近い傾斜でえらい大変だったわ

 

やっぱ上のほうが土地がたかいのかね?

 

伊東線の鈍行は間隔長いしまあローカル

しかし利用者は多い

それでも伊東市にはもう高校が1つになってしまい

高校生はまちから出ていくそうで

のこっているのはコドモと高齢者そして

ホテルで働く若者だけらしいぞ

そうですか

ふうむ

 

まあ月1くらいで伊東へいっていると

いろいろ目撃するわ

今日はすごくなんかスタイルのいい(ボディにコンシャスな黒のポロシャツ

を着て腰まわりとかもラインがすばらしい)女性がいらっしゃってあるいて

セブンイレブンに入っていったが

その半そでのポロシャツからのびた腕が

あれ~下に長袖のなんか着てる?と思ったらよくみたら

タトゥーだった(濃いめの色の紋様の)

なんか顔立ちからして中国系にみえたがわからん

いろんな人がいるもんだす

 

電車が長いので『所有論』よみだして

どうして鷲田はそんなにロックにこだわるのか?ロックの「統治二論」にある

所有の最初のありかたが人間と対象というかたちで・・・

というあたりに「そこに所有の原初のはじまりを見る^見たい」

原初を見たいというまたぞろその話かと思ったまさに哲学系統の人も

なにかの「はじまり」を考える奴が無数にいる

 

それよりもオレは「所有を主張する”個人”」のはじまりのほうが

気になるわ

そしてなんかこう「自由市民」みたいなものを考えるよりも

支配と隷属の時代(帝国?)にあって

奴隷はなにももたない者だったわけじゃん

そういうのさあ

支配者は「所有」していたー奴隷をーということ

になる

のかねえ

いままでそうじゃんと思っていたがいまはちょっとオレは

疑問に思っている

所有じゃなくて「使用する権限」だったのかもよ

人間を使用するなんて!

でも使用してたしなあ

 

それを所有と呼ぶ呼ばないみたいな

 

あとやっぱりどうしてもどこから家族がうまれたかとか

労働力とか

こどもというものはかつてはまだなく子供も「労働力」だったこととか

「労働力としての人間」というときの「~としての」というやつ

これは鷲田が書いてるところを読んでそれ以降「~としての」が

すごく気になるね

 

人間そのものではないという点でね

生きる(の 続き)

なぜ

くだらない生命でも生きるほうがいいのか

だってさあ

わかんないじゃんね

ミライがね

 

別にいいことが待っているかもしれないという気じゃなくて

ただ

分からん(未知)というだけだ

 

いま『所有論』読み始めているのだが

オレの今の頭が

プルードンとか家畜化とか

結構通常の教科書倫理とはかけ離れたほうの頭なので

過去の個人所有論がまずは展開中されてるんだけど

そのことに異議があるわけです

おまえら未来でピケティに批判されっぞ

ってね

 

しかしね

現実的にいまあるここにあるこの世界

どうしようもないbadが

いつもあるけど

一方で生きている我々は

家畜化しているのかもしれないが

その一方では図々しくてだらしなくて

一向に地球を汚すことをやめず

戦争や核兵器をやめず

私利私欲にまみれ

要するに強欲であり

あまり家畜っぽくもないイメージもあるんですう

 

考えることがどこに行き着くのか

わからないのだからこんなにくだらないオレだって

まだ考えるために生きていたいんですよ

いい人間も少数いるしね

生きる

しかしどんなにくだらない生命でも

生きるーー今後もいきる

という方面でいくことにしている

ので

どうにかしていきるし

主人公もまた生きるの方面で考えていってもらいたい

 

書いてるのの主人公のことである

 

いやさあ

じさつするいうてほんとにじさつした

おかたがおったもんでさあ

そのおかたには本人にとって

周り

に迷惑かけられない的な

迷惑をかけるだけの存在に落ちぶれるオレなど許せない

的な決意があったもんでさあ

はあ

そういうおかたもいるんだなあと

霊魂に対してそう思ったのさ

 

オレは生きるほうにベットするけど

他人に迷惑もかけていくし

がんがん

いくぜ

他人からの迷惑も

受けるけどね!!