4月21日(日)

しかし 所有でロックから考えたり

人類学をグレーバーから考えたりも

いいけれど

 

地域性というものもあると思うので

いわゆるこの島列島で我々なるあるいは我々ではない人間たちはどうやって

どうしてきてたのか何を組み立てて何を組み立てなかったのか

を調べるとしたらやはりいったん網野日本史

のほうをちゃんと(まえにちら見したことあるけどわからずすぐ挫折

したから)読んでみることが必要なのではと思っている

 

あと吉本隆明がそれこそ古代にさかのぼったり

 

「疎外」ってわざわざ日常語じゃない用語をつかうのはなんでか

(おかげでイメージがむすびにくくて困っている)

 

とか考えている

 

なにの何にしてもみな(’オレ最近読んでるなんかを考えるの本がみんな)

ヨーロッパ文明起源の古典から中堅ばっかりそっちを典拠にしたり

そっちのほうから考えはじめたりして

なんでもそっちを先にしないでということは

考える界(広義で学問の界)では

そっちを先にしないとできませんってキマリでもあるの>?

 

それこそ学問の界でいうところの橋本治

ならば学問の界で江戸時代の風俗として浄瑠璃歌舞伎琵琶法師

そっちのそれははじまりがどこにあったかって

学問界の「先行の研究」を先に置く習慣にしても日本の

それからはじめることができただろう

多分

 

構造主義とかがやってきたのはそれよりずっとあとのことだ

 

別にそっちをかんがえないといけないルールがあるわけでもない

 

というか学問プロパーでやっていくのはそっちのルールに従った上で

その中でまずはやらんといかんからきゅうくつのしめつけで

そういうのがよくない

そういうのを嫌って

学問界のそとはひろいよ

みたいな

 

しかし学問界のような「定まった業界区分と賃金わけてますシステム」が

ないような世界では広くひろい万民に対して問う

必要があるからなかなか「儲かる」ところまで確立するのが

難しいからこそ既存の出版の界に手数料を払って(割いて)それで

著作を書いてそれで儲かる(食っていける)ようになる

ようなところまでだって大変だと思うし

 

なんしょ大変だ

たにんから命令されて手を動かす脚であるくのをするのと

自分のあたまで考えての動きでそれをするのと

 

違うといえば違うだろうし金のはいってきかたがちがう

 

オレは永遠にそういうことが気になるのである所有とか個人の起源

よりもっといまここにあるこの世界でのひとりの頭で考えた行動が

どうしてこんなにマネーにむすびつきにくくできているのか

 

あるいはオレがそれを知らない(わからない)だけで本当は個人のあたまで

行動したほうがマネーは他の方法で調達できるようになっているのか?

投げ銭ファンダム効果?

そっちのほうが更になお「他人の欲望」そのものを金にかえたものだと

思うけど?