今週の展開

とくに事件の予定などはないですが(ないほうがいい)

あ~おきぬけは波涙がでるね

 

ともあれ日曜はさんで3連休があるのでそれは

すごくいいですね

それを待つかんじで5日間を何とかするバイトって感じですかね

 

雨と曇と晴れがめまぐるしく変わりそうですし

いろいろありますね

 

図書館返すは今週はない(かえすのは5月1日・ポストでもいい)

なので

 

じっくり読めばいいのだがこの「厚い本をじっくり」読んで

いて最後にカタルシスあればいいけど

なかったらどうしようっていうね

まあ著者によりそえるかという大きい問題があるからねえ

姿勢

その問題のたてかたと問題に対する態度(それが姿勢attitude)

 

まあねえ~~~

4月22日(月)

おはよう

 

わりとよく寝たのはいいが

夢にわがメンターたる女性が登場したので

困った

しかもオレの対応がいつも同じというか

あ!

みかけたときにすげえうれしいのに

うれしいオレのふりふりしてるシッポをみせたらいかん

という

ので一見なんでもないような顔をしているというのが

オレのいつもの対応で

そうじゃなくてあなたにあえてうれしい!っていえばいいのにね

まあ夢の中なので明晰夢じゃないと自由にはふるまえないよね

ははは

 

まあ夢に出てきてくれるだけでもいいでしょう

メモって

奥野克巳によれば

 

人類学には「絶対にこの4人は外せない」

ブロニスワフ・マリノフスキ(1884―1942)

クロード・レヴィ=ストロース(1908―2009)

フランツ・ボアズ(1858―1942)

ティム・インゴルド(1948―)

 

マリノフスキは「生の全体」

レヴィ=ストロースは「生の構造」

ボアズは「生のあり方」

インゴルドは「生の流転」

 

ってはなしを講談社現代新書にだそうです

 

フウム

よい休日(5月を前に4月)

そういえばハリウッド映画をみるのも久しぶりだったんだよ

だからあんなに「映画映画した映画だなあ」と思ったんだろと思った

 

この土日は伊豆半島にぶらぶらしにいったり

豊橋で映画をみたりいい感じである

べつに家や図書館にいてもいい休日だとは思うが

なんせ無職ライフよりは制約おおいので

休日はどっか違うところにいたいと思うのは無理もないのである

 

伊豆半島には観光客は老若男女がいたし

映画館は朝から若者(ほんとうに若い)がたくさんいて日曜のあさから

第一回からの初回午前鑑賞を友達と

みたいな中学生高校生いっぱいいた

映画も捨てたもんじゃない(産業として)

 

夜に風呂いってヒゲそってさっぱりしてコメを炊いて

いまラッキーオールドサンをSpotifyでききつつ蒸らして

さあまもなく食うところである

 

映画館と温泉を両立する方法はないのか・・・ないな

 

オレが言う「温泉」というのはちゃんとした温泉のことだし

「森林」というのはちゃんとした森林(山岳)(火山)のことだ

だからそういうのは映画館が成り立つような都会にはないんだよ

ない

 

両立などしないね

しょうがないね

だったら映画館こそときどき都会に出てきてみるものになるだろ

ごく簡単なことで

都会に常駐するのは家の経費が高すぎて成り立たないからだ

 

まあ北海道といえども土地を買うのか買わないのかとか

問題はあるけどさ

買うときからリバースモーゲージにすることはできんのか?

さあね

 

ラッキーオールドサンいいな

CD買ってよかった

 

あと原田郁子氏が5月に富士山のまわりのどっかでやるフェスに

出るらしいが

フェスも悩ましいね

特別感があるが

なんしょ

遠く

高く

大変な遠征です

一人でやるのは結構大変なんすよ

ねえ

 

テレビにマヌールと水瀬いのりんが出ている(声)

あの騒動どうなってんのかな

だれかその真実をしるものは本人しかいないと

思うけどね^

映画「オッペンハイマー」について

豊橋IMAXで鑑賞2500円は安い

 

オッペンハイマー 物理学者

なんちゅうか本中華

いろいろな人がいろんなことを言っていましたが

結局人間たる男の物理学者が仕事をしたが

権力なるものがあって

オッペンハイマーとストロースというのがいて

かれらはそれぞれの公聴会と審問にさらされるのであった

それはWW2後のことであった

 

オッペンハイマーはストロースの策略によって共産党関連で赤狩りにあうのだが

ストロースも商務長官に任命されるのかどうかという公聴会で批判をうけるのであった

それだけのことしてるしね

くだらない男

嫉妬にうごかされてるただそれだけ

 

オッペンハイマーが「原子爆弾の父」となることになったのは

それなりのやる気があって依頼があって愛国心があったという

3つの「ある」があったからそうなったと思うんだが

そんな戦争の最中に「兵器は愛国とは関係なくダメよ」とは

言えまい

そして科学者が「これを世界ではじめて実現させるのだ」という

歴史に名をのこすの名声もまた

魅力だよね

ストロースみたいなのは地位だけに興味があるんだけど

 

あと事前にオレはしらなかったのだがこの映画にはアインシュタインが出てくる

 

けっこう最初と最後にいるので重要人物である(象徴的な意味で)

 

お話は史実にものっとっていろいろあったがゲンシバクダンは完成

したそして落された

のであるが女がいて

フローレンス・ピューがどんすか脱いでファックしている(そしてそのあと

自死なのかわからんが死ぬ)

そのあとに別の女がいて結婚したりうんぬんである

 

気になるしーんはその別の女と二人で馬にのって

まだロスアラモス研究所もできていないときのロスアラモスに

馬であそびにきている二人

いい気なもんだぜ

である

 

ロスアラモスのやつらは白人ばかりで

それもまたそうだ

 

好い気なもんだぜ

 

ということである

 

それはそれだけであって映画としてのそれとは関係ない

意図

映画における完成形のための意図はかれらの権力のたたかいと

意思

でも大画面で「原子ー割る(中性子をぶつけて)ー量子的世界」の

映像~CGぽいけどCGではない>?

がよかった

 

あとローレンス役の男がガタイのいい男で

まあこいつもまたあとで敵みたいな感じになるが

こういうエリート科学者って白人にいるよな

と思ったね

 

審問における敵の側のやつ(弁護士だが実質検察官の役)が

ものすごいイヤ~な男なのだが

あんたのその理論は戦後だから言えるものであって

そんな戦前に平和・厭戦主義者なんて公言もできなかったじゃんねえ

アメリカでさえもそうだったと思うぞ

(日本でもそうだったけどね)

 

そう思うと中江丑吉のことを突然思いだしたよ

 

「慧眼であり盲目である」みたいなことを

言っていたね

 

「関心領域」とおなじだ

科学だけが領域でそれ以外はみないようにしている(と「尼は

泣き坂」で言っていたよ)

PODCAST

 

まあ

映画としては映画トータル作品完成度バカ高い映画です

ものすごいまとまっている

120%まとまって十全にまとまっている

そりゃアカデミーたくさんとるわけだよ

 

オレは来週のウォッチメンの「Past Lives」を

やっぱり

みたいんだよね

でも浜松で1800だからなあ

平日に行く元気ある>?木曜とかならなんとかね

街中の駐車場とかね

たかいね

しょうがないねえ~~

てきとうな伝聞からの感想

なんでも感想かけばいいもんじゃないが3つ

・能町さんクイズ

・あのちゃんと峯田

青ヶ島

の3本です(ぜんぶ昨日の記憶)

 

・能町さんがTBSのラに出てきててなんか「これまで言わなかった」過去

について「高校のクイズ研」だった話

ほんとは一人でクイズしたかったが3人一組なのでしょうがない

それで最初にスタジアムで大人数で勝ちのこり目指すが

やはりこの最初の関門が難しくきつくて突破できないのだそうだ

ふうむ

やはり難しいのだなあ

 

・あのちゃんANN0のSPで峯田(銀杏BOYZ)やってきた

セックスとか金玉ひっぱりとか恋愛は好きになっちゃうもんだしとか

あのちゃんによる「何いってんだてめー」拒絶もわかりやすいところとか

いろいろありました

あのちゃんの話をたくさん聴くようになってわかったことはやはり

ゆるめるモ!の時代にあのちゃんは長い時間をかけて脱皮に向けての

さなぎとかだったのかなあみたいな

つまり「中で完全変態に向けて」もともとあったものを一旦どろどろにして

みたいなイメージである

そのあとはもう強いにきまっているよね

完全変態ならばね

 

青ヶ島の話は文春オンラインで読んだからどこまでがどうなん

と思ったがまあ青ヶ島の生育した女性がいま38だか40とかで

YOUTUBERとかやってるが基本はだんだん人口すくなくなっていく

青ヶ島に他人もよびこみたい(それは青ヶ島が基本好きだから)との

事業の人ではあるが

なぜ他人をよびこみたいのか>?というと

昔にくらべて島の人口はじわじわ減ってきていてそれは

まず島の中の民の同士で結婚とか考えるに至らない

なぜかというとコドモのときからひとつの大家族みたいにひとつの

集落で集住しているのでそういう気にならないのだそうだ

 

ほんまかいな

 

そうだとすると過去の人類は狩猟採集段階で絶滅していたはずなのだがまあ

当時のかれらは「その外部」がなかったからだろうな

 

んで

島の外から人がくるためには住むところとか施設が必要なのだが

公的住居は「村の公務員住宅が優先」で

私的住居を建てるにしても資材を島のそとから運ぶことそのものが

ものすごい経費が高いんだって

そりゃそうだ

 

でもなんとかゲストハウス的なものとかおためし移住できる家とか

建てる感じなんだってさ

 

それで思ったが昨日かった古本「山奥ニートやってます」

その人たちは廃校になった小学校の建物に住んでいるのだが

 

まあだれでも「どうやって食い物食ってるんだ金はどうなってるんだ」と

思うでしょうけどオレも思う

それは読めばきっとわかるだろうけど

それでさあ

 

比較で言うけど山奥ニートは15人くらいで

とくにニート同士で結婚とかに至らないのだが

 

しかし著者(山奥ニートをはじめた人)は

結婚して女性とつがいになって生きてるんだよ

 

それは山奥の他にも「外部」がつながっている土地として日本列島に

あったからだと思うんだけど

(島はつながっていない)

 

そんなことを考えたねえ

 

3題である

 

オレの脳はどこを向いているのか

4月21日(日)

しかし 所有でロックから考えたり

人類学をグレーバーから考えたりも

いいけれど

 

地域性というものもあると思うので

いわゆるこの島列島で我々なるあるいは我々ではない人間たちはどうやって

どうしてきてたのか何を組み立てて何を組み立てなかったのか

を調べるとしたらやはりいったん網野日本史

のほうをちゃんと(まえにちら見したことあるけどわからずすぐ挫折

したから)読んでみることが必要なのではと思っている

 

あと吉本隆明がそれこそ古代にさかのぼったり

 

「疎外」ってわざわざ日常語じゃない用語をつかうのはなんでか

(おかげでイメージがむすびにくくて困っている)

 

とか考えている

 

なにの何にしてもみな(’オレ最近読んでるなんかを考えるの本がみんな)

ヨーロッパ文明起源の古典から中堅ばっかりそっちを典拠にしたり

そっちのほうから考えはじめたりして

なんでもそっちを先にしないでということは

考える界(広義で学問の界)では

そっちを先にしないとできませんってキマリでもあるの>?

 

それこそ学問の界でいうところの橋本治

ならば学問の界で江戸時代の風俗として浄瑠璃歌舞伎琵琶法師

そっちのそれははじまりがどこにあったかって

学問界の「先行の研究」を先に置く習慣にしても日本の

それからはじめることができただろう

多分

 

構造主義とかがやってきたのはそれよりずっとあとのことだ

 

別にそっちをかんがえないといけないルールがあるわけでもない

 

というか学問プロパーでやっていくのはそっちのルールに従った上で

その中でまずはやらんといかんからきゅうくつのしめつけで

そういうのがよくない

そういうのを嫌って

学問界のそとはひろいよ

みたいな

 

しかし学問界のような「定まった業界区分と賃金わけてますシステム」が

ないような世界では広くひろい万民に対して問う

必要があるからなかなか「儲かる」ところまで確立するのが

難しいからこそ既存の出版の界に手数料を払って(割いて)それで

著作を書いてそれで儲かる(食っていける)ようになる

ようなところまでだって大変だと思うし

 

なんしょ大変だ

たにんから命令されて手を動かす脚であるくのをするのと

自分のあたまで考えての動きでそれをするのと

 

違うといえば違うだろうし金のはいってきかたがちがう

 

オレは永遠にそういうことが気になるのである所有とか個人の起源

よりもっといまここにあるこの世界でのひとりの頭で考えた行動が

どうしてこんなにマネーにむすびつきにくくできているのか

 

あるいはオレがそれを知らない(わからない)だけで本当は個人のあたまで

行動したほうがマネーは他の方法で調達できるようになっているのか?

投げ銭ファンダム効果?

そっちのほうが更になお「他人の欲望」そのものを金にかえたものだと

思うけど?