あまりいい気分ではないが美勇伝解散発表のニュースをきく。
それはそれとしてあと狼で評判がよくない。SLも、構成も、「授賞式が多すぎて流れが阻害されてる」も。オレ在宅だから、今回の全員集合についてなにもいえないけど、あまりいい気分じゃない。
が、変わる時期なんだろうきっと。なにもかも同じままではいられないのだ。
 
それはたとえば夢。夢をみつづけていること、夢をみることをやめてしまうこと。夢からさめること。「夢からさめて」。いや、高橋さんのうたったあのミュのナンバーのことではない。わるいけど。オレがいまおもいだしているのは「プリンセス チュチュ」6話。「夢みるオーロラ」。
かわいそう?
「演じるのがこわいの」 こわいというこころ。そう、知っていた、あのこどものころからの憧れのようにはなれない、ということ。
エデルさん。ゆめをみつづける人と、ゆめからさめた人。どっちがしあわせ?
「あの子(あひる)は、きっとすてきな夢をおいかけているんだろうなあ」
「夢からさめても、まだ、夢をみつづけているような女の子」
パウラモニさんは何がこわかったのだろう?ただみゅうとのこころのかけらがそこにあったから?
それとも夢をみることをやめるのがこわかったの?

ここでのエデルさんのことばは、「こころをとりもどさせることしかできない」あひるの行動について、でもそれは本当にぜんぶトータルオールオッケーかしら?って言っているのだと思う。こころの中にはもちろん恐れのこころさみしさのこころ、怒り、ねたみ、おごり、その他たくさんの黒いものもあるし、そのためにとても苦しむことだってある。
でもそれは全部のこころの一部にすぎない。
ふりかえってみてみればきっと、恐れなき愛などないということになるのだろう。
それでも、「恐れなどというこころを知らず、ただ何も感じないで夢をみるように眠ってなにもできない人形のままがいい」のかもしれない、そういう選択肢もあるってことだ。
夢などみはじめるから大変にこころの嘆きかなしむこともある。
多義的。
 
あと今日は(突然話題が変わる)DSLiteとともに移動して家と学校でそれぞれいろいろTVをみた。家で朝に「しゅごキャラ!」。あむちゃんええぞー。ええ子やねー。誰かの力になりたい、なんて、ほんとうに。ええ子や。そしてあんまりしょっちゅうは見れない青の子のキャラなりが来たー。見れてうれしい。
昼には「篤姫」再放送。大久保さんの母にたしなめられるあおい。当然だ。うかれてるようにしか見えんかったわ。でもいい経験じゃん。てゆーか予告がまたおもしれえなあ。
1500から、教育TVで鹿野さんが出てた。3年前と、今と。声優として。立派にやってるのう。えらいわあ。たしかにオレも必要とされたいよ。されたいなあ。ってなんか努力しないとなあ。