つかれた。
若いってことはそれだけで財産だということを気づくには若くない状態が必要なのだが、べつに若いときに無駄使いしたわけではない、なぜならば若いときにたしかに楽しかったといえるし。別の選択枝には意味がないのだ。
と、若い子といっしょに救急救命講習を受けてて思ったよ。あーまったく教習所だ。土曜に高速のるんだが雨みたいだぞ。死なないように気をつけよう。

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もちろん自分も若いときにはおっさんを見てあーこのおっさんはもーと思っていたことを今でもありありと覚えている。それなのに、若いころのオレときたら、オレがいま思っていることを、ちっとも知らないのだ。いくら過去の自分とはいえ、どうしようもない。ひどい奴だ。無知にもほどがある。おっさんから見て若い奴がどうみえるか全然知らないとは。
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知らないのは当然だが。
 
まあ、あんなにかわいい雅ちゃんや愛理さんでさえもいつのひかおばさんになるという事実があって、でもそれはまだ確定してないから正確には事実ではないかもしれないなあ。突然、1992以降にうまれた子はおばさんにはなりません!ってこともないなんて確定できないのだ、まだ。

いや、ちょっと認知症関係で「回想法」をしらべていまして。過去を回想するんですけど。過去を回想できるのに未来を回想できないとはずるいなあと思ったんですよ。未来は洞察ってゆうのかね?みえないところを覗き込もうとするのは全部洞察だろ。英語でなんてゆうの。Insight!