ここ10年くらいの目標についての検討

夜明け。星がきれい。ぱらぱら。ぱ(ぽ)ら、ぱ(ぽ)ら。ぱらっぽぽらっぱ。
 
さて昨日のつづき(朝から)。

なぜ「目標もなくただ過ごすだけだとなにもしてこなかったことになるのか」。
実際には何もしていないということはない。
だがしかし記憶というのはとても曖昧なものでかなり強い刻み込みが無いとどこかへいってしまう。
そのために日記をつけているというのもある。何をしたかを刻みたいので。
 そんでもって他人にではなく自分に対して「これをした」「これを獲得した」という
 ような、とくに技能というか、スキルというか、それをしたことでそれができるように
 なったというのを、とくにほしがっている。
 
あんまり欲しがってもしょうがないのだが。
 
そんなことを言ってみても欲しいものはしょーがないのである。たしかに、欲を捨て、ものを捨て、部屋を広くして、すっきりとして、すべては雲が地に映す影であり雲が風に過ぎれば消え行くもの也とかいって悄然としていられればいいんだがそんなわけにいくか。あれ、「悄然」ってどういう意味?
 っしらべた。
元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり。
 あれーそんなんですか、ならいいです。消えていったのでしょんぼりしている。ぜんぜん悠然とはしていない。いいじゃん。これはいいね。そのほうがいいのではないか。
 
 話が変わったので、あらためて「検討」する。昨日のつづき。いちいち項目を書くのがはずかしいので、
http://d.hatena.ne.jp/sanukimichiru/20091017/1255772086
の番号で考える。
1について。まあこれは当然。仕事はどこであろうと続けるだろうしそうしないとオマンマ食えないし。
それにオレの仕事は、そのまんま「技能」職なので、つづけることによってオレのほしがっているものが手に入っていく可能性大である。もちろん研鑽すればの話だけど。あと経験しないとわからんことがたくさんあるので経時的なとこが重要なのである。
2について。これは親との関係というかきょうだいとか親戚とかとの関係で、ともあれつづけていけってゆう話である。
3について。これはできなくても構わないのだが、なぜオレはそれをしたいのだろう。他人がそうしているからだ。そして他人はどうも楽しそうだし、そのことで他人はさらに他人から「共同体の一員としての承認」をうけているように見える。ここあたりがキモか。それは「オレはどうも共同体から承認をうけていないようだ」というアレだ、認識。
 だんだんと、独身者について、その割合がふえていくにつれ、「彼らもまた共同体の一員」という考えが日本にひろがりはじめてはいるが、まだまだである。高齢者については「一員というか、義務を負って、義務を終えたものたち」という考えでなんとかなっているものと思われる。だから社会は高齢者に対して、一定のbenefitを施そうとするのだ。respectがあるかどうかは知らないが。
 いやいや、そんな公共的なことはここではどうでもいいのだ。オレがどうしたいかだけだ。
 これについては保留。
4について。いやーしたいね。こうやってオレがここに書いているよしなしごと、は、どうも多分、他の日本にちらばる他の人々、とくに男性独身中年たちにたいして聞いてみたいことがたくさんあってここに書いているようなところがあるのである。または男性非独身中年でもいい。彼らははたして自分の立つ位置についてどう思っているのか。そこにあるものだけでなんとかやっていくというのがサバイバルの基本であってそれは現代社会でもまったくおなじことだが、さて。
 
 こんなことを書いているが単なるハロヲタであるのがオレの基本だったように思う。単なる。
 いまやかかっていないのがまーさとちなだけになってしまったがベリの皆さんは是非なんとか休んでから元気になってほしいと思われ。そして静岡でオレが元気な七人を見られますように。どうもスケをみてるとやっぱどこも行けそうにないのである。1ツアーで1回しかみられないなんてさみしいもんだがまあ仕方ない。年末Buono!紺は2回みれるからうれしい。そのくらいか。
 もうすこしでゆかり姫カウントダウンの当落がわかるはずなのだがどうなっているのだろう・・・・オレの大晦日の運命はどうなるのだろうかー。かー。パン焼きはうまくいったのだろうかー。あーラジオラジオ。