たいへんすばらしいエントリに出会ったのでここになんか乗せちゃったりしてみる。
http://hpsuke.exblog.jp/12044111/
[漫画] 最近の「絶チル」についていけなくなってきた理由
 
勝手にのせてすいません。
 
先にオレが絶チルについて思うこと。オレも絶チルが大好きだが、オレはとくに、小学生よりも、いまの中学生編の方が好きだ。そして、登場人物全員がチルドレンのことを好きであることについてはなんの違和感もない。というか、それは、漫画だからだ。ヘンな言い方だが。
 漫画を読むときに何を最優先しているのかというと面白いかどうかだ。面白さ絶対主義。いぬまるだし。その面白さは「リアリティ」にも「絵の華麗さ」「絵のせつなさ」「話のスリル」「なんとなく感じる服ファッションのセンス」いろいろあるけど、それらすべて、なんでも羅列できるけどそうした下位の要素すべてに優越して「面白い」ことひとつが最優先である。つまり「できすぎた世界」であることはぜんぜん鼻につかない、といいたい。

 オレが気になることの最大のポイントは中学生になったやつらが徐々に濃い恋心をはみ出させてきていることである。
 
 やつらが3人で、それぞれ全員皆本のことが好きで、どうにかして自分こそが他の2人に優越して皆本の好意を手にいれようとして、その様子がコメディ化されていて、しかしコメディの中にもどこか生々しい感情がこぼれたりしていて、されど、どこかに「結局最後に皆本と結ばれるのは薫だ」ということを、紫穂と葵は知っているような気がしてならない。
 それでも結局、3人がどこまでもどんどんコメディ化された「恋のアタック」を続けることができるのは、今のところどんなに激しく行っても皆本が抑制をはずして誰かヒトリに対して好意を(個人的な、保護者としての愛ではない、男女のエロスを含むような愛を)示すことは「ありえない」こともまた、3人があらかじめ知っているからにほかならない。
 だんだん自分で書いていて文意がとれなくなってきたぞ。
 
 まあなんだ、「抑制がある中での大騒ぎ」というのは昔からのこの漫画の基本姿勢だ。それが面白いと感じることができればオレはファンだ。
 
 なんかね。性愛にはつながらないというか。
 
 とつぜん思い出すのだが「笑うミカエル」という有名な作品があり、この作品のラストは3人の主要な主人公たち(女子高生)がそれぞれのパートナーと結ばれるという後日テロップがつくのだが、ぜえんぜん性愛とかと程遠い絵柄の顔をしたやつらが、結果的には旦那を持って子供つくったりしてることが示されたりしてて、
 作者が女性か男性かで作品の中に何をもちこんでくるかはかなり影響されるのか?
 いや知らんけどね。