疲労で2ー

思うに。
疲労との付き合い方。
うちの父親が73になったので電話した。健康体である異常なほど。趣味、気功と中国医学とボウリング。しかし彼が健康である所以はメンタルではなかろうか。あくなき探求心というか。
100に近づいても研究に余念のない日野原先生ドクターをみても衰えないのは探求の心である。それがどこから出てくるのか。さあ。
年をとってなんか衰えというが、環境その他、いろんな要因があろう。
一口にこれが秘訣とか言えない。
疲労との付き合い方。
金曜日、オレは疲労していた。仕事の上で厄介問題を抱えていたのである。なんとか課長(他の課の)と話して、解決の糸口くらいはつけた。
土曜日。何してたっけ。朝練、洗濯、読書、講演会、料理。
日曜日。朝練、ゴミ整理、ハーフラウンド。そりゃ疲れるわ。
せいしんてきに。
オレはそれで今日になってひとつロールモデルを考えてみた。父親ではない。あんなのモデルにしてたまるものか。
そうではなくて、もっと「進歩しない」「淡々と」「あの人は何を楽しみにして生きてるのだろう」 と言われてるような人物像である。
ポイントは進歩しないところである。
思うにオレがゴルフでうまくいかない理由もメンタルにある。うまくなりたい。その強すぎで空振りするしチョロもする、力みすぎ。
進歩なんかなくていいし最低限のクビにならない仕事ぶりでいいし貯金なくてもいいし定年後にすぐ野垂れ死にでもいい。じゃあなんの為の人生だとかという疑問がある?疑問ある方がおかしいわ、なんのため等という概念は無しでいいのだ。世の立派な人は子を為したり育てたり税金沢山払ったりエンジョイであるが、そんなの立派な人がすればいいのである。
ただ生きて仕事ちょいとしてればいいのである結果は問わない。
なにしろオレの月給は15も年下の同僚より低いのである。
オレ3年目なもんで。
よく考えたらそういうわけでべつに何もなく過ごすことを恐れなくていのである。
無為というより無内容空っぽ。
それはべつに犯罪じゃないし。