あさ

あー日付のところまちがっていじったらおかしなことになって、治すの大変でした。
 
さて今日は25日、土曜日です。

 
いろいろ脳内にのこっているのだが、
 

「海街Diary」1巻やっと再開。なんかいか読んで、人の死に向き合う(死にゆく人に向き合う)のにはエネルギーがいるという話をあらためて読み。エネルギー。
 そもそもが病院で死なせる(長期入院して)のも、家で死なせるには家の人のエネルギーが吸いとられるからではないかというのが浮かんだ。
 家で死ねと厚労省は言っているようだが。
 死に方はたいへんに難しいのだなあ。
 
「東京プリズン」よみはじめる。いきなりママでママである。女子が自分の同性の親との間の関係をなんとかかんとか。重たい。
 さきの、海街のことを言うと、どこかの書評で欠損家族のことにふれられていた(たぶん高橋源一郎だったと思う)、しかし親などいなくていいというのもある。かわりになにかの機能があればいいのである。
 オレがいつも不思議に思うことは、自分がさっさと家を出たことと比較して、20を越えてもずっと親と同居とかうっとおしいに決まっているのにどうして続けるのだろう?ということだ。
 ここではオレが「うっとおしいに決まっている」と当然のように書いていることがポイント。
 
 ラジオきく。山ちゃんの不毛な議論。スペシャルウィーク、二代目こども師匠オーディション。オレはBちゃんの声が好きだったなあ。小学生女子に読ませるのもおもしろいぜと思っていたが、まあ常識的にはAくんだよね。そういうコーナーだから。
 
 改めて、「海街」。すずちゃんがかわいい。すずちゃん大変だったんだねえここまで。よく我慢してたねえ。こういう「がまん」とか、「いいたいことを言えない」が、いかに大変で、いかに人間をこわしていくか。オレはどんどんこの日記ともういっこのオフラインで吐き出していこうと思うので最近日記が長い。