いろいろ、介護体験とか、親を施設に入れた人の話とか、集めて読んでいる。
結局、脳梗塞脳出血からの生還が可能になった率が上がった半面、「壊れた人間」に直面しないといけない体験が増加したのだ。
この「壊れた」は、「目にみえない脳内の壊れている」である。
これはわかりにくい。
わかりにくいというのは、骨折や四肢欠損とは違うという意味である。人間は目に見えるものを先に理解し、目に見えないものはなかなか理解しない、とくに「理解したくないもの」は、理解しようとしない。
脳機能の欠損などはとくにそうだ。
それは脳の血管が逝かれたおかげで細胞が死んでしまったのでそこんとこはもう治らないんだよ、と、はっきり言ってしまえとオレはDrに言ったがDrはそれは転院するときに言うといった。
なかなか日本では癌告知も進まないしはっきりした病状の説明でさえ進まない。訴訟もんだと思うのだが。
ともあれ、脳梗塞から生還したけどもう高次脳機能障害にかぎらず性格の変化や言葉を扱う能力の明らかな衰退、いろいろな人間らしい機能を失ったまま生きていてそのままあと何年か生かされるということは残酷だと思う人もいるだろうしいないかもしれないし。オレは残酷だと思う、はっきり思う。
昔はよかったというのは本当で、昔は原子力もなかったし、脳梗塞になったり脳出血になったりしたら確実に死ねたのである。
もちろんこういう言い方に反対の向きもあるだろう。
人間はオーバーテクノロジーをつかいこなせなくて悲劇ばかり起こしている。
それがオーパーツとして残っているんじゃないのか。