よる

木下惠介監督の話。NHKクローズアップ現代
 
登場人物はしょっちゅう愚痴をいい愚痴をきく。登場人物は多くの場合にしいたげられたり弱かったり、つらい立場にある人物たちである。
 監督にはそこへの共感があるという。
 若き日の戦争体験によって。
いま「陸軍」という昭和19年の映画をみてみるとすごくなんか不思議だ。日の丸小旗を振って出征する兵士をみおくる群集とその中にある兵士の母の姿。 

なんというか戦後のころの混乱と貧困があって、いまふたたび日本には混乱と貧困が訪れている。かつての混乱は戦争にまけてなにもかもなくなったことによりあり、今の混乱は「かつてあった栄華が失われたがそのことに対応できない、こどももできない、金もない、働き手もないし誰もたすけてくれない、地域社会は崩壊して個人の力も足りない、無様に衰退していくしかない」感じである。
 無様。無残。
 
 ロスジェネ心理学を読み終わっていろいろ考えている、著作としてまとまりがどうこうというのは脇においておいていいと思う。
 問題なのは、「われわれロスジェネのうち、『いま現在、人生に失敗していると感じている自覚している群』が、これからどうやってなにをして、どうにかして人生を少しでもマシなものにするためには、他人と一緒に、何をしていったらいいのか」ということだと思う。
 そのために、ロスジェネの中の失敗群の持つ問題、たとえば自己愛であるしコミュニケーションの稚拙さであり、養育環境のダメ性(仕事人間の父親と教育ママ)であるし、そういうのを分析しないといかんのだが、まあそのような原因群は認めればいいんであって、
 これからなんかするのであれば。何をしたいのかがあるならそれをすればいいと思うのだが。何もないならせめて他人の役にたつ度合いを高めていくといいのだが。
 
 上の世代が逃げ切って、下の世代が新時代対応なので、われわれロスジェネはどうしようもない、というのが「変化の中にあったわれわれ」の像である、というのはちょっとオレには違和感があり、つまりそんなに損してる感というのはなくて、ただ時代がそこにあったからオレらはその中で育ってきたというだけで、フリーターやってたのは好きでやってたからだし、いまだに終身雇用システムは人間のよさとは相容れないと思っているし、したいことをした充実感もある。海外長期旅行とかね。
 
 どうにもならないことが戦争中にはたくさんあり、それは努力すればどうにかなるというものではない、そんな時代にはひとたちは倒れていく。
 いま現代もそのような、戦争に匹敵するような、厳しい時代なのではないか。フリーターは生きていけない、とかね。
 そうおもえばオレは恵まれていたのか。いま気づいた。