2013 07 13 。 33号

 
鳥山朗新連載「ジャコ」
 この内容はジャンプではなくてもいいのでは。
 まあどこでもいいけども。
 老科学者(工学)、老いて、ひとりで島に住む。
 彼はタイムマシン開発をしていたが失敗し、妻も失って、そしてひとりで住むこととなった。
 そこにあらわれた知性ある宇宙人、しかしなんとなく言動はしはしに「幼さ」をも感じさせる。
 
 ここまでまとめるとオールドSFの馨しいかおりがするのである。
 きっと老科学者のこころも宇宙人のこころも、行動と言葉のやりとりによって、突き動かされるのだ。変化しないではいられないのだ。その予感は満ち満ちており、まさに濃い物語の第一話になっている。こういう空気を描く感覚はベテランでなくては得られない。
 ので、ジャンプじゃなくてもいいと思ったのね。。
 
 ニセコイ
なんかね。可愛い子たちがキャッキャしているのはいいことですよ、そこにどんどん仲間が増えていくのもいいことです。しかし。いびつな風景であることも覚えておかないといけない。ラノベの世界に「大人」がいないこと、を指摘された方がいらしたが、そういうもので、大人とか、男女とか、みたくない現実も現実に存在することや、誰もあんたに関心なんかないんだよとか、そういう感じの世界のやるせなさ、が一方にあるということを覚えておかないと、ほんとうにマンガに埋没して女子がたくさんいてキャッキャしているのを横でみているだけのことに専念してしまう人間がいてもおかしくないのだ。
 とか考えてもしょうがねえか。
 まあ簡単にいってオレはニセコイのような漫画のことを全肯定しているわけにはいかないのだ。
 
 トリコ
トリコのことも全肯定できない。捕獲レベルが幻獣で200いくつだって?数字でレベルをあらわすことの空しさを感じる。世界にインフレがおこって、強さを単純に表現したりしなかったりのことである。
 誰がいちばんつよいかはどうやって闘うのかのことである。
 どうでもいい。人間が人間の限界でやるのか、それとも超人がやるのか。
 超人がやるんなら超人のことをやっておればいいのだ。超人のおもうことは人間にはわからないのではないのか。常識はずれといってもその常識は人間の常識だ。
 
 ソーマ
 うまそうだね。
 
 トリガー
 ケンカしそうだね。だまされやすいJKはいいJKだ。
 
 黒子 
 描かれてない間に赤司くんが紫に勝っていたわけだがどうやって勝ったのですかあ。こわいわ。人間じゃないみたいな顔してるわ、赤。
 
 斉木
 なんかなー結局接触はしてるわけだしなー。ヒロインの二の腕とさー。いいなー。
 
 べるぜ
 友情に厚いのはいいことだ。友誼っていうのかね。
 
 ソウル・キャッチャーズ
 なんか虹にどうして反応したのかなー。わからんちん。
 
 クロス・マネジ
 試合は終わった。そしてどうするのかって明日からも練習したり怪我なおしたり恋したりの日々がはじまるのだろう。オレはこの作品がおわってしまうことが心配でしょうがないのである。恋しようよ、もっと。この作品くらいのレベルでの「理想と現実」がオレは好きである。恋してても相手が鈍感だってのはこのくらいがいいと思う。うまくいかなさがある。世の中はときどきしかうまくいかないのである。まあみんなそんなに現実を見たくないのもあるかもしれない。だから調整が必要なのである。たぶん。
 
 漫画に何を求めるかは人それぞれで、他人の考え方にケチをつけてもしかたないが、それでもオレはオレのみかたがあるわけで、かつてジャンプにはまくらと紅葉とニセコイという三つのラブコメなるものが並んでいたわけだが、結果として紅葉とまくらは敗退したわけです。じゃあニセコイが優れていたの?いや、人気があったということだと思います。人気というのはどういうことでしょうね。オレはけっして紅葉のもつリアリティレベルがきらいではなかった(はじめからヒロインは主人公男子のことが好きってとこからはじまるところも含めて)。まくらだっていい感じの柔らかさだった。
 ニセコイは年月を経てはじめのヤクザどうしの対立団体の子供同士だった話からヒロインインフレを経て歪んだ集団の中のバランスわるい不自然さが生まれてしまっているのだと思う。
 何がいいたいかというと、女子ばっかのああいう集団においての男子1名は本当ならばたまこまーけっとのモチ蔵くらいの「ほっておかれ」になると思うのである。
 
 まあ、比較の問題じゃないわな。