よる

私の個人的意見だが、
結果がすべてだとか、
がんばったかどうかなんて主観なので意味がなく関係なくどうでもいいとか、
 
そういうことを敷衍していくと、
 
能力を計数化して、低いやつは無能で、そいつには給料をはらう価値がないということになる
 
人間社会というのは昔から能力について算定したりしなかったりを繰り返してきたのだと思う。身分とかもあった。仕事なんて考えはなく、そもそも「生きる」ことと「そのすべきこと」は堅く結ばれていて、選択なんてしなかった。武家の子は武家になる。狩りをしたりかんたんな植物を育てたり。イネつくったり。
 
 無能な人間は生きている価値がないといいきるのが「計数化」である。このいまの現代での「金銭」は生きることとイコールであり、金銭が稼げないのは生きている価値がないということになる。
 
 だから老人が蔑まれ、障害者が蔑まれる。
 
 もし本当に人権なんてものがどうでもいいのならさっさと捨ててしまえばいい。いまの政権には何でもできるのだろう。やっちまえ。
 
 どうもどんな職場でも軋みと軋轢は起きており、摩り減って去っていくだけのことがあってもそれを当然のように扱っているふしもあり、合理性とかいってるうちにかえってほろびてしまう。人の人間たるゆえんは人間性ではなかったか。人が人を求める(これを愛と呼ぶ)こと。
 
 そういうものは計数化できないと思うのだが。結果なんかどうでもいいじゃん、と思う。