よる2

2130ごろに目がさめたので起きている。
 
なんだろう、時に年齢をふりかえると44で、恐ろしいことに、これは中年であって老年でもあると思う。人生は終わりだ。おまえの人生は終わりだ、と、大きい黒いもやもやした物体から言われているわけだ。
 
 そして現実としてアパートの住まいであって、恒常的にこの家で住んで老いていくのだという家を持たず、恒常的にこの仕事をして生きていくのだという仕事をもたず(仕事の組織が時限立法の上にたっているという特殊性があります)、仕事のスキルとして専門家といえるだけのものが無く(ありたいと思っていても今それを持っているかというと持っていない)、
 そういう中年に成っているわけだ。中年としてどうかと思う。オレが20くらいのときの中年イメージではない。 
 しかしそもそも20くらいのときに「こういう中年像」になっていくように、という像も持たなかった。つくらなかったし。
 そうしたらこういう中年になったのである。
 いま振り返っている。こういう中年ってのは今になって若い者(若く、かつ、よく考えて実践してる、えらい人たち、若いというのは偉いと併存する)から教えを享けることになるのである。逆だけどしょうがない。こっちに経験の蓄積がないからだ。なければ、教えるというより教わるになるのはしょうがない。
 そのことをいま肝で味わっているところだ。胃の腑に浸みこませているところともいえる。その胃も壊れかかっているわけだが。
 どんなことについても考えて深く考えて考えつづける体力を持っている、のは理想像だがそうでなくては何かを達成したり仕事の上でクライアントに向けて生活を変えるという要素をつけくわえる(小さい変化を積み重ねさせる)ことはできないだろう。それが仕事だというのだから。そういう仕事か。そういう仕事だったのだね。えらいこっちゃ。