ひるごご

1月2月3月とか全部ほとんど暗く苦しんでいた、今4月になって別になにも解決していないが、一方で、暗く苦しんでいてもべつに面白くなくたのしくもないことがわかった。
今日は土曜という休日であるが特に何もしていないがしなくてはいけないことはあって、
久しぶりに電気やにいってBD−Rを買ってきたり’(HDDから焼くためのストックがやっとおわった。2年以上かかって25枚くらいを焼いたはずだ)、試験うけるやつのためのものをコピーとったり’(免許証とか)、車の中を車用の掃除機で掃除したりした。
 
何も解決していないしオレがやってることは上司からみたら悪なのだろうし、できるはずのことができていないし、担当者として失格なのは分かっているが、それでも、金曜に考えたことというのはオレでもできるなにか少ないことをやっていてそれをやめずにやっていることとしてはそれは対価を得る仕事としてもいいのではないかということで、それがもしも「時間をただ過ごしていれば過ぎる」とか「同じことを繰り返す」とか「対話しない」とか、そういうマンネリおよび無成果をよしとしているんならオレが退場すべきに決まっているということだった。つまりなんだ、無為を認めてしまったらオレとしては終わりだっつーことなのだが、
 
一方で無為ではないにしろ空回りというのもある。オレが結局別に出世したくないとか達成したい目標がないというのはなんだろう、たぶん「職場という集団」から見たら「扱いにくい無能な初老」でしかないわけになってしまう。んだろう。
とくにえらい人とたくさんコミュニケーションとりたいとも思わないし(そこでふと若い同僚を見ると彼ら彼女らはえらくうまくえらい人とのコミュニケーションをとっていてまったくすごいなあと思う、そうすることそうしておくことでその先に得られるものやバックアップやつながりが成果を生み出すと知っているわけだ)、飲み会とか正直きらいなのでそれはもう。
 そういう話が昨日もリンク張ったような貼ったような気がするが
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20150408#p1
に載っていてだな。そのとおりと衝撃をうけてだな。
 
よかったことってなんなんだろうな、オレが仕事をしてこれを達成できてよかったんですとパワポをつくれるものが何かあるのか。果たして。本当に。1年たって過ぎていったのに。という話である。維持が目標の人を維持させてて
それはできてますと胸を張っていえるのか、何もしなかったら確実にレベルダウンしていたといえるのか、科学的に。実証的に。そういう話もある。
 
介護予防がうまくいかないのは実証的な部分でそういうところなのかもしれず。
 
いっぽうでただ「話したい」だけの人も確実にいるんである。気のあう人とはなしたい。合わない人とははなしたくない。当たり前だが。