よる

ふんふんとかいって職場で極度のストレスを発生させそのまま解消も解決もせず懸案2件のこしてそのまま時間切れで帰宅、あっちもこっちも、上司の許可承認がないとできないし意見も考えも全然違うしだからといってこうしろああしろとはいわず意見が出てくるだけでどっちの意見が強いかっていう戦争だが負ける戦で時間が無駄でなにやってんだの巻。なおされるためにやっている作業で捨て時間。それから意見がまるでちがう件の解決の方向性の違い。違いすぎてお手上げ。他人を金銭面で説得するのはとても大変。サービスの対価。
 
たまむすびをきくしかない。
 
毎日客先ではそれなりに必死にやっているが、職場に帰ってくるたびに上司とのあいだに全く考えの違う部分を毎日露見の露呈でオレはいつも自分なりの考えを否定されdenied.これはストレスであろうてのう。
 バカだからしょうがないみたいな考えもあるがここはひとつメンタルなんとかのkindleを読んでそれなりにサバイバルを考えよう。
 なぜならば自分の生命が一番大事にきまっているから。
 
 鮭のせたごはんくいたい。
 
 今日は昼をごくごく軽くして体調をととのえて終業時間になってからおにぎり二個と白身魚フライをくってがつがつ。うまかった。
 
 いきるには食べていくしかない。
 
 そんな単純にAしたからBになったというロジックが導かれるわけないに決まっている。
 オレはこの仕事をやめるべきなのだろう。そういうロジックがきらいだからだ。
 これはすききらいのはなしで職業倫理とはまた別の話だ。
 
 福祉系と医療系で、どっちも労働対価がサービスによる顧客変化の度合いに応じて額が決まるわけではなく、しかしある程度対価の基準が決まっていないと経済としてまわせないのでやむを得ず対価を決めているのだと思うし、20分を302単位としてそれが適正水準であるかどうかは誰も過不足のなさを証明できない。
 
 うちの上司が有能なワーカホリックなのは誰もが知っているし適正な判断を下し正しい託宣をしているのであろうて。オレのようなバカ人間がなにかをおそれいりますがと上申するなど却下の嵐である。
 しかしだったらオレがなにかを判断するような猶予を奪ってしまったほうがいいのではないか。
 
 なんというかこの話は前前にも書いているしいつも思っているのだが判断や審査の基準についてもっとも適正にして明晰な者がいるのであればそれにかなうものはないのであって下々はそんな作業はぜったいしないほうがいいのである。やるやらない、いまどのくらい、継続すべき、卒業すべき、すべてその明晰な主体がすればいいのである。馬鹿な下々はそんな判断にあずかるべきでないのである。アウトである。排除されるべき。オレを排除しろってのという主張。
 
 まあクビになりたい欲の発露である。いつものこと。寝る。