morning

地方に住んでいる
東北である
太平洋沿岸
東京まで4時間半かかりますね
車で新幹線駅まで2時間
そこから2時間半
 
遠いといえば遠い
まあいまでは本州であれば新幹線駅へのアクセスが改善したので
半日以内に東京にいけないところは
深山幽谷に限られてきましたが
(たとえば聖岳山頂から下山して東京へというときには
おそらくアクセス静岡側へ下山しても畑薙ダムから静岡駅への車は長いし
半日では無理でしょう)
 
まあそういう極端なのは排除したとして
地方都市
見捨てられた地方都市
イオンのこない地方都市
セブンイレブンの無い地方都市
いやいいんですローソンたくさんあるし
 
しかしここで問題になるのは
設備店舗ではなくて
(流通はおかげさまで改善しまして
おおよそ通販で入手できないものはないし) 
 
人間である
人間の人間関係感覚の
せまくるしさ
どこにいっても
知りあいがいて
行動をみられている感
休日も
見られている感
 
息がつまる
狭い
夢の国にいきたい
 
と思うこともあるでしょう
都会はいいよねさざさざさばさばしてて
他人からおせっかいかけられることもない
 
いざというときに
そのおせっかい隣人が
自分にとって助けになってくれるかどうかは
わからない
 
だがそもそも近隣住人も
親戚類縁も
そこにいて
いないとたぶん生活なるものは成り立たないのだ
漱石が「それから」で描いた代助の夫婦生活をみよ
 
おお
 
つらいなあ
 
ところで
日本人が無常の感覚を得たのは
鎌倉時代以来の1000年ぶりらしいですよ
鎌倉の時代には末法思想が流行した
戦乱を経てなにもかももう希望無い感じになった
法然の浄土宗があらわれた
 wikipedia
鎌倉時代法然を開祖とする浄土宗末法思想に立脚し、末法濁世の衆生阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとし称名念仏による救済を広めた。一方で浄土真宗の開祖とされる親鸞は、師・法然末法観を受け継ぎつつも、「正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり」「像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて 時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまふ」(正像末和讃)と説く様に、正法・像法・末法といった時代を超えて受け継がれてきた念仏の普遍性を強調した。 また同時期、日蓮末法思想を真剣に受け止め、末法であるからこそ信じて行うべき法を求め[1]法華経こそが正しい教えであるとし(法華一乗)、南無妙法蓮華経と唱えることを広めた。」
そういう時代
 
そして平成の末となった2017
平成生まれは
最早終身雇用なる妄言を信じず
なにも確たる永続するものは存在しないという
生成流転を基礎として
それでも生きていかねばならんと
なにかに縋りつきたいかんじの就職戦線
 
とオダジマさんは言うておりましたが(ラジオで)
 
そうでしょうねえ
 
したいことがないのは寂しいが
したいことがあってもひとりじゃできないとわかることも大事で
人に抱きしめられればあたたかい体温がうつり
愛をもって夜の褥も寒くないんだって
ピクシヴで読んだ


テレノイド

無表情

ロボット

怖いが

面白いな

最先端

まあ人間ではないものにも

反応できるのが

人間ではないか

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/711415.html
結構時間かけて研究開発してきたのねえ
たしかに
テクノロジー
がそれを言葉を音声をコミュニケーションを形にして
認知症高齢者の精神へとはたらきかける鍵になるのであれば
それが普通の人間には耐えられない感じの諦め感うんざり感をもつことなく
機械はうんざりしたり諦めたりしないし
そこが機械のいいところ
平坦にきめられたプログラムを実行
してくれる
はなしかけてくれる
おもいださせてくれる
のであれば
これすごいことかもしれない