帰宅(船越桂展)

まとめ

 

有休とった平日

緊急事態宣言の再発令が出るまえに

東京にすごくひさしぶりにいく

 

人間の言葉をきいたのは

美術館のうけつけと

昼飯の店のおやじだけである

 

東京は普通に人間が電車のったり路をあるいたり

していた

自転車の人もたくさんいたし

子供を育て中のかんじの親子(母子)が

公園で遊んでいた

 

防寒ばっちりでね

 

公園には体育館とテニスコートがあり

テニスをする人がいた

体育館にはプールもあるのである

地下

窓が1Fにあり

「撮影禁止」と張り紙があった

へえ

 

駐車場は30分220円

2時間弱とめたから880円ね

いいほうだ

 

目黒区

 

あるいていくと駒場東大前駅がある

そのまま渋谷区に出る

 

松濤美術館

船越桂展

 

彫刻の人だが

ドローイングなどもある

楠を主な材料として

それに彩色

など

 

浦島さん(美術系ライター)によれば

「静謐」(音を失わせる作品)ということだ

これはオレがラジオでコメントきいたのをそう書いているだけで

ラジオそのままではないのであしからず

 

オレももちろん筒井「残像に口紅を」を読んでいるので

 その絵はみていたのだが

 

とにかく木を彫る彫刻だ

 

・大きい木ではなくいくつかのブロックを貼りあわせてつくっている?

 

とにかく顔が

顔が厳しいというか

笑顔らしい笑顔の人は誰もいない

 

いないんだが

 

かといって怒っているわけではない

 

解説文によれば「人間のある個人を詳しく表現すれば最終的には

人間そのものを普遍的にあらわしたものになる」

(個別性から普遍へとつながる)

その普遍の底を

「(底にある)泉」と表現して

展覧会のタイトルにも泉の文字がある

 

そしてはじめは半身像だったが

これもべつに具象というかリアルさを求めるものではなく

もともとはじめから「背中が平」なのである

本来の人間は背中が平ということはなく背中にも起伏がある

しかし平だ

 

彼の彫像は

顔はスーパーリアルであるし

あとで出てくる裸像の乳房(女性乳房)もスーパーで

ほとんどハイパーリアルである

 

しかし他のぶぶんは抽象で

だんだん腕とか◇になってくる

そして山と人間がまざりあってくる

そうとしかいえない

 

それからスフィンクスと人間がまざりあったり

スフィンクスオカピのような像になって

2011東北の震災後にはスフィンクスであり観音像でもある像になる

 

乳房はいつもあらわに2つある

まるくて

おおきく

乳首がとがっている

乳首の周囲(乳暈)は比較的コンパクトで

乳頭はいくぶん勃起している

オレはエロい気持ちで

いつも美術館にいるので

この男性作者が乳房のリアルさを像にこめているのは

どういう気持ちなんだろうといつも思ってしまう

 

とにかく乳房らしい乳房なので

この像が「観音です」といわれても

いや

これは母性のやつだ

とか思ってしまう

 

スフィンクス化していても乳房はべろんと裸である

 

一方でメモとかおもちゃとかも展示してあって

水彩の小さい小さい絵のクリスマスの

みどりの酒瓶とかすごくきれい

 

とにかく木で彫った乳房はほとんどありのままであるかのように

なめらかで

そういう形だった

 

ガラスごしでもないので近くでみてもよくて

 

芸術家が女性の裸像にとりこになるかんじとは

いつの世もあって

あるなあと思い

 

あまたある日本のAVとか

どういうふうに後世には伝えられていくのかなとか

思った

 

彫刻は写真でもWEBでもわからない

実物を見るしかないのじゃ

 

と思いました

 

約12時間の日帰り旅だった

 

カレーはうまかったよ

真っ黒で