ゆう

10年もたつと

東日本大震災

そこからのなにか

「それでも価値のあること」を掬いだすことが

大変困難になるんだなあと思っている

救うではなくて

掬うである

ごく小さいものなどを、手・さじ等で汲(く)み取る

ことである

あまりに小さいのでもう救えなくなってしまっているのである

 

原発は無くならなかったし

日本政府と東京電力は最終的に責任ある態度をとることが

できない機関であることは証明されてしまった

ので

今後の見通しはくらい

おまけにこの2組織は「失敗を失敗であったと認めることが

できない組織」であることも証明してしまった

そのため

失敗から学んで今後に生かすことができなくなってしまった

 

地震そのものは今後も起こるだろうし必然的に人は死ぬだろうて

家は壊れるし津波がくればどんな防御があろうとも人は波にのまれ

死ぬだろう

それをゼロにはできないしかならず逃げ遅れる人と

逃げようとはしない人と

逃げることのできない人がいる

障害者も老人も情報を即時に得ることのできない人も

いる

 

そのことと原発がリスクが大きすぎてかかえきれないこととは

全然別のことで

災害死をゼロにすることはできないが

原発という発電手段を諦めることはできるのに

それをしないのは

無知と誤謬の結果

リスクを勘定することができなくなってしまったこと

人命をリスクとみなさないような悪魔の所業

 

失敗を直視できない組織は自壊するしかなかろうて

 

そのようにしかおもえない