今日はJUNKHEADを見にいく

1800からなので

それまで何するか

 

というところで

いま考えて(思って)気になっていることは

 

1 / 実写にくらべてアニメのほうが

没入というか

「アニメは好きにできる」(庵野カントク)

アニメについてオレが思うところは

理想がそこにあるから

感情移入できるからみているのか?

じゃあ実写のドラマには移入できないのか?

移入ってどういうこと/?

理想の女の子がそこにいるってか?

 

2 / お笑いの人のやりかた

おりしも昨日のことだが

ノブコブ徳井の分析が

あった

ニューヨークについて

そこで語られていることは

売れることと

面白いことと

面白いと思われること

なんですけど

こないだからお笑いの人が売れるというのはなんでなんで売れる

の?

というのを考えていて

面白さというのは言語化も難しいし数値化も難しいので

じゃあどうやって形として残すのか

(感情を言語という形にするということ)

なんですけど

もうひとつ

誰にとって面白いのか

誰に面白いと思われたいのか

そこと

あとは「売れたい」とシンプルに言うことと

 

奇遇にも昨日のあちこちオードリーで

ケンコバさんが

「袖にウケることが唯一の指標だった」みたいなことを

言っていたのである

つまり同じ芸人仲間とスタッフ制作陣

そこにウケることだけをかんがえて

客はどうでもいいと言っていた

しかしそれが間違いだと気づいて変えた

変えたのは10年くらいしてからだという

 

徳井さんの記事

topics.smt.docomo.ne.jp

 

ニューヨークがようつべで何とかという話もあるんだが

それは一旦おいておいて

ケンコバのはなし 

 

それは桂三度からが評したというんだが

「売れたい」

という話で

そこの徳井さんの表現では

面白いと思われるということと売れたいということが

別のことである(両立している人もいる)という話で

 

仮に同じ芸人たちから面白いと思われるということと

制作陣や客から評価されることが

別のことであるとしたならば

 

と考えていくと

 

じゃあそこは究極どこがどう別のことなんだと思ってしまうのである

 

その

あちこちオードリーでは

そのことについて

蛙亭岩倉が

「まず客からおもしろいと思われなければはじまらない」と

すっぱり語っていたのでたぶんそっちが本当だと思う

 

ようつべがあったとて

見る人が多いのはおもしろいから見るというのが

シンプルなんじゃないだろうか