問題群は
きりわけて考えるとたいしたことないなあと
思うこともあり
たいしたことないことにふりまわされているのがその空疎な中心だったり
あるいは
たいしたことないと思っていたことが実はたいしたことで
真の重心であり中心であり
仕事なくても即死んでいないのは
仕事から死ぬまでの間が段階が複数たくさんあるからだし
精神が崩壊するのも崩壊までの間に段階が
たくさんあってしかも階梯ではなくて連続的な
例えていえばサインカーブのようになだらかに傾斜している
あるいは茹で蛙の理論でなかなか進んで変化していることにも気が付かないから
気がついたときには精神はだいぶもう崩壊していて
取返しというか回復まで長くかかるのでしょう
切り分けてみるとオレの場合は
・金
金は
いま
貯金があるのでまだなかなか死なない(食えるし
家賃も払えるしインフラの代金も払える)
・仕事
は
無いんだけど
無いと困ることって何? 以下例として
ー社会的信用がない
ー社会的交流がない
ーやることがない
などが挙げられますが
これ3つあったらそのうち
「社会的信用」については次項で
・親
親がまだ生きているのでオレの生活に
干渉とかしてくるんですが
うるさいのでほぼ無視していますが
うるさいことは事実(annoying)
迷惑
です
なのでそれ自体はただの迷惑な雑音だが
社会的信用がないぞ!と言ってくることによりオレが
雑音をきかなくてはいけないという不快なことがありこれが問題
(不快なことはなるべく低減していきたいわけです)
(無視しているだけだと不快雑音がエスカレートしたりオレが精神にダメージを負うおそれがある)
・充実
社会的交流と「やること」という2つの項はまとめると
充実
というワードになる(要素となる)
つまり
社会に認められたいということとは少しずれて
オレもオレとしてオレの内実が充実しているほうが
「快」なので
それをめざしたいという感覚がある
で
何がオレにとって快であるかというところにうつっていくと
社会的交流
があって
これまででわかったこととしては
他人様と雑談ができる環境は
必要
というのがある
あとは
暇でやることがないなあ・・・何しよう・・・
と考えるような事態はある意味ではダメージ(不快)である
ということもある
つまり人間にはそのようなマイナスの黒い時間を
どうにかして
対処したほうが
いいよ
という知恵があるのである(過去の言説からそれはあきらか)
言説としては「暇と退屈の倫理学」がある
そういうことが書いてある
オレは信用している(書いてあることを信用している)
若林が特に注目したというやつは増補版にしかついていないと
いうんだが
惜しいなあオレ増補はもってないんだよ
で
快をもとめると
つぎに
それは簡単に言えば「しごと」を「たっせい」するとそれが
得られる(ついでにお金もえられるかも!)
ということになる
で
しごとをさがすんですよ
趣味だけしててもお金が低減して最終的には貯金がなくなると
それはそれでオレは親になきつく(それは不快)ことをしなくては
ならなくなるので
で
しごと
ですが
・自営で誰からも命令されない
ことが快だなあと思って想像してそれをめざそうと
思っていたんだが
なかなか困難事項がたくさんあることがわかってきた
あとは
・その仕事には社会的な意義がある
社会的意義がある仕事には公的な値段がつきます
それが我々の今の日本の社会の仕組みだから
・関係性をつくるというしごと!
これは快だろうと想像されるのだが
実際問題ハードルは高い
地域づくり!
って言うのは簡単行うのは難しい
だいたいどういうことすんのか言葉だけで内容のイメージがない
・そういう意味でこれまでのしてきた仕事の意義とか快とか不快とかを
項目にしてみよう(PTってそういう意味ではどういう要素のある仕事だった
のかな>?
特に訪問が
ということだけど)
この項つづく