映画「ひらいて」について

みてきた

PG-12

 

ところでパンフを買ってきたので読んだのだが

足利フィルムコミッションが入っているということは

撮影地は実際の足利でいいと思うんだけど

その地の様子に触れる描写がない

 

オレはたぶん一番最初はリリイ・シュシュのすべてだと思うんだけど

北関東という場所の荒々しさや残酷さ(それは別に土地が残酷なのではなくて

その映画の内容が残酷だったのではないか)

が強く記憶にのこっていて

いうなれば「田舎」でありさらに「田舎の残酷さがそこにある以上

そこで育つ高校生は残酷さを身体化して育つ」くらいに思っていた

 

田舎というのは日本の現代の田舎という意味では

「東京ではない」という意味で

それは直結して未来が開けていないということの

諦めと

 

いうなればたとえば「あのこは貴族」での

富山と東京の関係はそこにあるわけだけど

(田舎にいたのでは何もできない何も上昇できない)

 

「ひらいて」においても

たとえば

たとえの父は妻が東京にいってしまって

もうどうしようもない生活で息子を束縛し

家は散らかり放題である

 

単純に言って田舎に住んでそのまま大人になるというのは

おわり

なのだ

 

というのは背景であってこの「ひらいて」では

別に地方のかなしみが描かれるわけではなくて

地方の(コロナのきていない世界の)高校生が

 

恋愛をするのだけれど

 

主人公(愛)は

恋する相手のたとえ君からは相手にされず

盗んでみた手紙は

美雪ちゃんからのラブレター(私信)で

 

愛ちゃんが夜中に(わるい)友人や男同級生とかといっしょに

高校にしのびこむ(そのときにはもう手紙を

探そうということは決意しているようだ)

あたりからもう

愛ちゃんは暴力性とか手段を択ばない残忍さとかを

身につけている

 

愛ちゃんは優等生で推薦で大学いけるランクではあるが

 

たとえ君への恋がうまくいかない

ところ

あたりから

だんだんと

なにもかも

変化していく

授業にみがはいらず

テストを白紙でだしたり

授業を抜け出したり

 

部屋がぐちゃぐちゃになったり

 

それからあとは

美雪にキスしたり

 

愛ちゃんが高校において

もうアウトローになっていって

先生に呼び出されたり

そこから逃走したり

逃走してもつかまったり

屋上でひとりでたたずんでいたり

そういう高校生のアウトロー化というのも

オレは

安達哲さくらの唄」を思い出していた

あれの場合は男子高校生が主人公だが

平凡だった少年は

(いろいろあって)

大荒れして

 

なんだろう

この「ひらいて」は

恋愛からはじまって身体のひらくこと(重ね合わせること)

ことばをぶつけたり

ぶつけられたりして

人間同士の

エゴのぶつけあいであるとは思うんだが

 

オレが気になっていたのはずっと

この足利のまちの閉塞と

背景にある山と

夜にはしる自転車と

冬の寒そうな様子と

そのわりには雪にはならなそうな様子

そして愛ちゃんがやさぐれて爪を噛み

なにもしたくないんだけど日は過ぎて

卒業式まできてしまうけど

たとえ君も大学に合格してしまうけど

愛ちゃん本人は何も変化していなくて

たとえ君をあきらめたようなそうでもないような

美雪ちゃんに冷たくしたりあやまってみたりそれをマジではないと言われてみたり

愛ちゃんにしてみればズタボロになっていく日々の話である

そこが

そこがとてもよくて

愛ちゃんはズタボロになっていくロード

(そう ホットロードみたいな 本人(和希)はこの先が

どうなっていくのかなんて全くそんなの不安なく

ひたすら自分の信じた方向へ歩みつづけていく)

その道の上を愛ちゃんは思うがままに歩きつづけていくし

留まることはない

大学とかどうでもいい

 

そんな愛ちゃんを

母は別にしかったりすることはないのだった

 

そういうわけで主演山田杏奈さんが凄くすさまじく輝いていた映画で

ベッドシーンもすごく興奮するし(オレが)

すべて直情で生きて生きてる感じが

強すぎる映画だった

監督がこれを映画にするために監督になったというから

素晴らしいと思う

 

ええもん見た

 

原作はもっとモノローグもいっぱいあるんだって

 

つまりは映画的な操作によってこれは映画になった

ということなんだけど

それは当たり前のことだよね

 

映画はええのう

 

たとえ君の父を萩原聖人がやってて

最悪の人間

を最適な演技でみせてくれる

最悪やらせたら最高っていう

すげえなあ

 

ムービーウォッチメンでやらないかなあ