まだ半分だけど

Netflixトランスジェンダーとハリウッド”

をみていて思ったのだが

 

・フェニミズムの運動とトランスジェンダーの運動は

別のものである(そう)

 

・別に考えたほうがいい

 

・まぜて考えると害があると思う

 

・基本的に権利を主張する運動はその当事者本人がするのが

たぶん望ましいと思う

なぜならそれは侵害された権利を回復または侵害する暴力の排除を

要求するのは本人がその主体だから

 

・だれかが代わりにそれを行うのはちょっといろいろな問題があると思う

→どのような問題か?(別)

 

・~という扱い方をしないでほしい

・~という扱い方をしてほしい(例・〇〇と同等に扱うこと)

 

公平性

平等性

 

恐怖を与えない

不快さを与えない

与えている場合には意図の如何を問わず糾弾する(される)

 

当時者が 弱く 少なく 立場が弱く 力がよわく

政治的パワーがよわく

世間の世論の味方が少なく

学問の後押しがよわく

そういう場合には当事者以外の人間もその運動に

参加して助けることがひつようなのではないか(仮説)

 

エンパワーメント

 

えんぱわーめんとの問題

他者はあくまで当事者ではないので

無私でヴォランティアであることが望ましい

 

正しい方向とは>?

世間の全員にとって正しい方向は存在する>?

 

いやさ「カセットテープ・ダイアリーズ」で

さいごにおやじもブルースのファンになって

なかよくマンチェスターへ車をはしらせることで

おわるのだけれども

本当にそんな簡単に趣旨を変えることができるのかねおやじ?

 

他人が「ありのままにそうである」ということ

他人の望むことをそのまま「認める」というか反対しないこと

他人の望むことが自分の望むこととの間で利益が相反する>?

Conflict

 

違うものを認めるのはいかにも難しい(なぜそれが世間で

すすまないかの理由はそれが難しいからだ)

のであればどのようにどの点が難しいかを明らかに

腑分けして

考えるほうがまだマシだと思うの

そういう話

 

だからまずフェミニズムトランスジェンダー権利運動は分けていこうよ

と思うのであった

(決してその2者を敵対させたいわけではない)