書籍『一六世紀文化革命』1・2

全8冊シリーズの4冊目5冊目である

『磁力と重力の発見』全3冊からのつづきである

 

もちろん中身は著者の執念によって

正史とされる科学史がいかようにみても

無視している部分がありそこが看過できぬとばかりに

書いた最初の三冊があまりにすばらしく

しかしその磁力と重力の話をするためには

本当はいかにして「科学」がヨーロッパで

育つ(研究される)ことになったかの地ならしがあり

それは別の著作で書かねばならぬと宿題にして

3ねんでこれができるんだから凄いのひとこと

 

「磁力」のほうは

科学の中でも「遠隔のちから」という謎がいかにして

古代から取り扱われてきたかが中心課題でそれこそ

古代ギリシア古代哲学者と磁力という

まあ当時は磁力ではなくなんだ

磁石とは

みたいな話から

でもそのときから哲学者がいたわけで

結局かれらは「すべてを取り扱って考える」人

だったのだね

 

それがなまじすごいってことになって

中世からルネサンスにおいて

その文献はあらためてイスラムを経由して

ヨーロッパ(遅れたヨーロッパ)にもたらされたときに

かえって「これですべてだ!」とばかりに無批判で

読まれていたのが失敗で

読むだけで確かめとか実験とか調査とか計測とかぜんぜん

しなかったのが当時の学問

 

でもいろいろあって

実験や調査などたくさんする人が学問世界の外にいた

という話である(まとめちゃうとそうなる)

 

超面白い題材である

 

でもほんとのほんとのベースは「科学」は

なぜはじまったか

ということなのだと思う

それに対する著者の執念が

ものすごいので

それが面白くて読んでいる

著者の頭は著作で読める

中身をね

 

科学的態度というものがあり

あるんだけど

それはちょっとずつ時代とともに変化して

「あとがき」で原子力批判があり

原子爆弾はついに物理学者が自然界にあるものをモデルとするの

ではなくて

学者の頭の中でかんがえた可能形態をモデルとして

ついにつくってしまったのが爆弾で

それにより電力つくれるけど捨てる弊害のほうが

はるかにおおいものをつくってしまった

というのはどうしてそんなひどいことを

はじめてしまったのだ

ということの話があとがきにあって

まあ悲痛である

 

人間ってあたまよいのと馬鹿なのがひとりの人間の中にも

同居しているのだと思う

 

もうなかったことにはできないし

 

愚かさについていろいろと図鑑をつくるつもりで

それもかなしいな