他人の痛みを自分のものとして感じる

自分のことと

自分のことではないが社会のこと

怒る こんなのは許せない と思うことが

あるのはあるに決まっているのだが

どうして他人のことをそういうふうに自分のことのように怒る

のだ?

と言う人もいて

そいつらは分かっていないのだ

それは

他人のことのようにみえても

自分のことなのだ

自分は拡張しているし

意識は他人のことを自分のことのように感じることはできる

それが「許せない」ことであれば他人が許せないと思っていることは

自分がそれを許せないと思うことと

同じ

になるのだ

 

しかしそれを分からないという

 

そういうやつこそ他人の痛みは分からないのである

 

それこそが最悪の世界だと思うのであって

人間を人間たらしめているのは他人のそれを自分のそれのように感じる

ことができるからではないか

つまりそれこそが意識の拡張であって

意識は他人のそれまで拡張するし

過去と未来へも両方向へ拡張するし

想像と妄想という形で非現実へも拡張する

数学世界はなにかどう表現したらいいかわからない部分へ拡張するし

物理などはさらにはるか遠くへ拡張する

宇宙の彼方へもミクロの深淵へも

 

拡張しようともしないようなやつは人間ではない

 

過去になにがあったかも知ろうともしないで

 

なんのために脳にミラーリングの機能がうまれたと思っているんだ

 

他者の行動のむこうがわには他者の意識があると

知ることができるだろう

 

自他の意識の分別が

はっきりしているのではなくあいまいだからこそ

他人の痛みがわからないのだ

 

分別がはっきりしたときにこれは

これは他人の痛みであり

だからこそそれは自分にも同じように感じられる

つまり他人の痛みを自分のように感じることは決して

自他の区別のあいまいさから生まれるのではなく

逆に

自他の区別の厳密さがうまれて以降のクリアな認識なくしては生まれない

 

そんな簡単な真理にもきづかないからいつまでたっても馬鹿のままなのだ