あさとなったのである
かつての記憶は鮮明なので朝に早朝なので
BSとかで環境映像しかやってない中を酒(焼酎)のんで
酩酊している時間が懐かしいとさえ思えるのだが
あれは身体(脳)を破壊して得られる感覚なので
別にいいことはない
のである
破壊はときに懐かしいのである
脳的にはどうなのかね破壊される行為が快感としてPerceptanceかね
糖が脳にやってきたときには明らかに快として評価しているように思えるけどね
そういう感覚で言うと
もっとこまかくてわかりやすいやつのほうが脳の「かんじ」に
強くストレートに影響するものと思われる
つまりわかりやすいのでは昨日のオレのことで
昨日は
・メモ間違いによって合格不合格が宙に浮いていてすごいストレスだった
・爪の切り方なのか芋堀りで痛めたのか指先に感じる痛みの一歩手前の感じの不快感がかなり大きかったのでそれについてどうにもできないストレスをかかえていた
オレが強いストレスを受けるのは
シチュエーションが不快なのだがそこから脱出する方法がないときと
シチュそのものについてオレが積極的関与をもって解決する方法がないとき
の2つである
脱出するか解決するか
いずれにせよオレはそのようにオレの主体が貫かれる形で事態を動かしたい
(’か オレが違う場所にいきたい)
のであって
それができない理由をオレが解決できない
ようなときにはその場所にて解決しない問題と同居したまま
そのままいつまで終わるか分からない状態で過ごさないといけない
のであってそれがものすごいストレスである
しかし幾分か生きてきた経験の中でわかったことは
いっけん動かしようのないシチュであってもそれは時間の
経過とともに何かしら
動く(変化する)
ということである
オレもかわるしシチュもかわる
時間があるとそのままStableのままではありえないのである
それは大抵の場合に当てはまるのである