まねっこだけどさ
つまり
拗ねているというのはたいてい他人からの指摘なわけです
「怒り」にもその傾向があり
さらには
「恥ずかしい」気持ち
もある
この「気持ち」は
本人が自覚することもあれば
外から見て「この人は真っ赤になって黙っている
恥ずかしがっているに違いない」と思うのである
しかし
それが本人が真正に「恥ずかしいと感じている」かどうかは確定できないのである
そのことに現象に「恥ずかしい」という名をつけないままで
無名の違和感を感じているだけかもしれない
怒りも
明らかに外からみて怒っている人
しかし本人は「私は怒ってなどいない!」と
怒鳴るのだる
怒鳴っていることが怒りがある証拠だと思うが
さて
さて「拗ねている」も
親から見て子供の「拗ねている」は
わかるというか親はそれを感じる
どうように
「怒っている」も
「恥ずかしがっている」も
親は感じるだろうね