拗ねてることへの疑問2

まねっこだけどさ

 

つまり

拗ねているというのはたいてい他人からの指摘なわけです

「怒り」にもその傾向があり

さらには

「恥ずかしい」気持ち

もある

この「気持ち」は

本人が自覚することもあれば

外から見て「この人は真っ赤になって黙っている

恥ずかしがっているに違いない」と思うのである

 

しかし

 

それが本人が真正に「恥ずかしいと感じている」かどうかは確定できないのである

 

そのことに現象に「恥ずかしい」という名をつけないままで

無名の違和感を感じているだけかもしれない

 

怒りも

明らかに外からみて怒っている人

しかし本人は「私は怒ってなどいない!」と

怒鳴るのだる

怒鳴っていることが怒りがある証拠だと思うが

さて

 

さて「拗ねている」も

親から見て子供の「拗ねている」は

わかるというか親はそれを感じる

どうように

「怒っている」も

「恥ずかしがっている」も

親は感じるだろうね