映画「セイント・フランシス」について

2019アメリカ作品

 

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公式よりストーリーを引用

うだつがあがらない日々に憂鬱感を抱えながら、レストランの給仕として働くブリジット(ケリー・オサリヴァン)、34歳、独身。親友は結婚をして今では子どもの話に夢中。それに対して大学も1年で中退し、レストランの給仕として働くブリジットは夏のナニー(子守り)の短期仕事を得るのに必死だ。自分では一生懸命生きているつもりだが、ことあるごとに周囲からは歳相応の生活ができていない自分に向けられる同情的な視線が刺さる。そんなうだつのあがらない日々を過ごすブリジットの人生に、ナニー先の6歳の少女フランシス(ラモーナ・エディス・ウィリアムズ)や彼女の両親であるレズビアンカップルとの出会いにより、少しずつ変化の光が差してくる――。

 

・ナニーという職への偏見をあらわす女

とか

・母になること(子供をもって育てること)に積極的になれない女

とか

・中絶後の不正出血がつづく女

 

などが登場します

 

そういう感じでいままで女性特有のことが映画で描かれることが少なかったことが今回この映画で描かれた

というがそれよりもオレが気になったのは

赤ん坊

を生みそしてそのあとまだ人間になりたての存在を育てるとか泣くのを面倒みるとか授乳するとか産後うつになるとか(なぜならしじゅう泣いてしかもコミュニケーションのとれない存在だから)そういうことを描いてるのが重要ではないかと思った次第

それについてレズビアンカップルがどういう手段で子供出産に至ったのかは映画では描かれない(オレが理解してないだけ?)が

ともあれ

生んだ母は産後うつになっており

ナニーをやってるブリジット’(ブリジットはフランシスのナニーであり赤ん坊の世話のためにきているのではない)のほうが赤ん坊を抱くと泣き止むようになっているそういう風に描いている

なんでもかんでもいろいろうまくいかないことがたくさんある

中絶に至ったのは排卵日を計算して計画することをしていないからだが

 

まあなぜそのブリジットさんが大学中退してうだつのあがらない日々なのかの中心的な理由が明かされるわけでもないのである

なんとなくなのである

なんとなくぶらぶらしている感じなのである

レストランの給仕で一生やっていく感じでもないのだる(プロ意識みたいなのはないように見える)

 

いやべつにそれを批判しているわけではなくて

この映画はブリジットが

ナニーの仕事を(やっと)得て

フランシスというちょっと気難しいきかん坊のような女の子と

だんだんに通じていく話ではあるが

 

それよりもその親であるレズビアンカップル(映画の中では「ゲイ」であり男女を問わず同性愛者のことをゲイと言っている)とブリジットさんとの間が

ぎくしゃくしている(遠慮もあるしなんかこう契約関係だし踏み込まないというか)

のだがその関係性も産後うつの感じのうつうつしているマヤのことを心配するブリジットさんがだんだんとこう~ちょっとした助けになるというか~

ストーリーぜんぶ書くのも違うと思うが映画感想ってむつかしいね

 

 

さいごのほうにすごくいいシーンがありまして

洗礼式のあとのパーティーをちょっと抜け出した

ブリジットとフランシスが「ごっこ」をするのだが・・・

 

タイトル

 

続きは気がむいたら書きます