(火)よる

韓国語は全く理解できないが聴いていて心地いいこともある(ASMR)

感情は画像あればつたわるしトーンというものがあるね

 

さて

 

がっこうで実習は疲れる話を書こうかとも思ったがつかれるね

の一言であるし

まあ

机にすわって姿勢動かないよりはいいのか>どうなのかわからない

のである

 

まあいいですわあ

 

というわけで

シンクロニシティよしおか

さんのわからなさについて書く(しまおさんについても

またいずれ書きたい)

 

よしおかさんについては情報が少ないのでオレの妄想が

入ってくるがなるべく妄想であることを添えていきたい

さて

これは事実としてそうなんだがよしおかさんは声が小さい(舞台で)

これは事実かどうかわからないが声の最大値も小さい

事実としてはTVに出てるときは音声さんがミキサーさんが調整してくれている

たすかる

 

それで

 

「売れるためには大きい声を出したほうが すくなくとも客に聞こえるし

客に聞こえないのではそもそも売れる以前の問題ではないか」と

思うのであるオレは

 

というか売れるかどうかをベースにしていない場合もある

 

とくにTVをベースとしていない芸人さんであれば売れることは最優先ではない

場合もありうる

たしかにそうだ

 

おそろしいことだがそれはあり得ると思う

 

しかしよしおかさんが「売れなくてもいい」と思っているかどうかもわからない

 

そもそも本人が声の小ささについてどう思っているのかもわからない

肯定的評価なのか否定的だけど改善できないのかあるいは

あるいはどうでもいいのか

あるいはまったく考えていないのか

 

まったく考えていないということもありうる

おそろしいことだが考えていないということはあるあるありうるありうるんだ

 

それはオレの知らない世界だが

そういう意味ではオレは即物的すぎるかもしれないし

多様な価値観の創造ができない(いや想像のほうだろう)のだろう

 

たぶん

 

だからたぶん「他人の気持ちを想像しよう」というときに

考えることはオレがそれを考える場合には

「何が最優先事項なのか」である

 

オレはオレの快楽が第一ですけどそれに加えて

快楽を持続できるか(反復できるか)どうかが入ってくるために

快楽を求めすぎるとかえって求められなくなる

(例・仕事いかずに家で布団でごろごろしていると金がなくなってメシが食えず

死んでしまうので結果死んでしまうと家で布団でごろごろすることを反復できなくなる

ので仕方なく仕事にいく)

からそういう選択をするのである

 

選択

 

そう

 

そうだから

だから知りたいことは「よしおかさんが声が小さいのはよしおかさんが選択した結果として小さい声でやっているのか?」

ということである

WIKIPEDIAなどあるいはネット情報の断片など

知るところによれば未確認だが昔やってたコンビでのよしおかさんは

こんなに声が小さくなかったそうだが

ちいさい声でやってみたらはじめてウケをとった

という

 

しかしそれでこんなにも小さく(実害あるなあとオレが客として思うくらい小さく)

なるものだろうか???

ウケだけのために?

ウケの邪魔になっているのに?

聞こえなくてトークをたのしめないのに?

とオレは思っているが

 

まあ

 

謎は解けないしわからないままであることははじめからわかっている

要はオレがどのように何をどのくらいまで考えるかだ

そっちのほうが大事だろうわからないことについてどのように考えるか

ストア派であれば自らの権内にないものはうち捨てておけというであろう

しかしオレは想像力との思考によってどこまでいけるかも確かめてみたくなるのである

 

実際はオレはこんなにもしつこく考えているではないか

これが「ウケ」ということなのか?

 

ちがうだろたぶん