午前

朝からいよいろやればパフォーマンスの時間コストがいい

 

朝から洗濯乾燥(コインラ)と図書館いってくるのとしたのですごい達成感

週刊文春

 酒井順子の読書日記から

『母という呪縛 娘という牢獄』
酒井の書く「子供が自分の意思を親に伝えることが、日本の家庭では意外なほどに難しい、という事実」

オレの胸にも重たいねえ
読むしかない

 

これはつまりこの書籍は「母子密着」「母による指導過剰虐待」の家庭があって

その母なる奴はあまりに夫にも過剰に「指導」という名の叱責みたいのをくりかえす

ために別居せざるをえなくなって))(夫はまだ生きてるようですなあ)

娘は医者になれと強制され9浪して医学部には行けず?いかず?

結局看護師になったものの永遠につづく母の干渉に

(耐え切れず?)

最終的に滋賀県で母を殺して(死体がみつかったのが滋賀県ってだけ?)

収監されるに至ったわけですが

本(のンフィクション)を書いたのは通信社の記者さんだそうです

 

しかしね

「なぜ逃げ出さなかった」とかいうのは定番の薄っぺらい感想で

そんなことできるわけない当事者性というのがあって

あるんだろうけど

悲劇は

「どうすれば防げたのか」を考えてもぜんぜん意味がないような気がするんだオレは

 

それよりは「この母の狂気はおそらくはオレたちみな全人類の中にも

その萌芽がある類のものであり

偶然やタイミングでそれが発情して成長しておそろしい暴虐をくりひろげること

十分にあるだろう」と考えることのほうが重要だと思うんですね

狂気であることは間違いないし誰も本人もそれを修繕できなかった

という意味で

(なぜ夫はそのような女と結婚して子をつくろうとしたのだろうと

いう疑問もあるが当然ながらその思った時点ではまだ狂気は

そこまで花ひらいてなかったのだろうけどもね)

 

つまり他人ことではないということ

 

すべてが

そう

 

週刊文春連載の

宇垣総裁の『夏目友人帳』の評はそこにある文章自体が暖かい文で

 

作品が20年以上の連載でいまからだと手を出しにくい感もありますが

暖かさに惹かれて読んでみようと思うようになりました

 

妖(あやかし)とは分かり合えないと思っても手を差し出そうと

する心が 人間世界でも同じことで暖かい火種になり得るのかなあ

って思います