というわけで先日
これはこのまま読むだけの価値があるのかと疑った本を
読んでいるが『自転しながら
さあこれはどういう終わりになるのかな
40%くらいまできた
面白いといえば面白いがリアルといえばリアルだし
あるいは「教科書的」といえば教科書的である
いやなことは最もわかりやすい例として適切に事件が起こるし
それによって主人公は影響をうけるという具合が
教科書的に見えるということもあればあるかもしれないし
こういう小説が好きと言う人はそうなのかもしれないし
たとえば比較で
なんでも比較ができるのだが
たとえば『デクリネゾン
の主人公(作家)と比べてみたとして
結婚して離婚して結婚して離婚してそして3人目と結婚する女性であるが
まるで違う世界に住んでいるように
みえる
が
デクリネゾンの世界にも「なんだかどうもおかしな感じの女性の編集者
とか登場するのであって
同業とか仕事の関係のつきあいの女性どうしのなんだかおかしな
様子の人
変な人
人のわるいうわさを言う人
とかはいつも登場する
いろいろ考えさせられる
これを読んで
『自転
を読んで女性読者は女性主人公の境遇が自分と違っても
自分との共通点があるなあと思って自分の中の弱い部分とか
みにくい部分とか他人にむかってまっすぐものを言えない部分とか
言ってしまいたくなる部分とか他人にいわゆる嫉妬をしてしまう部分とか
を自分のものとしてしみじみ思うのか
あるいはそれは保坂のきらう「感傷」なのか
どうなのかねえ
どうなのかねえ
小説はいろいろだとしかいえないのではないか
(それが多様性ということだとは思うが)