ヴィンランドサガ26‐27巻

ちょっとなかなか「書く」ことはうまくいかないなと

思っているタイミングでお仕事場所移動が起きる

のためにひさしぶりにメンタルが攻撃をうけているタイプの

精神であるのでここはマジである

マジもんしか読めんということで買っておいた

ヴィンランド・サガ26ー27巻を読んだ

 

殺し合いほどの真剣はない(ミステリでの殺人事件こそがもっともシリアスである

という森理論)

 

 

とにかくそれは「オレにピンチが迫っている」というタイプの緊張感なのである

それは何度も岩手県で経験した(残念ながら長野県では真のピンチの緊張感は経験したことがない)

何度も経験したのはそれこそ死ぬ的なピンチ感(八方ふさがり!)

である

緊張感のきわみ

食欲は減退し睡眠は浅い

オナニーを続けられるかどうかが境目の分水嶺

 

それこそ「ヴィンランド・サガ」は

いよいよヴィンランド編に入ってそこから

ゴールが見えてくるのか??と思いきやそんなことはなく

はじめから仕込まれていたメンバーによる「剣」の存在そして

グズリーズの語る理想

「若い娘」であり同時に母でもある

 

おもいがけない展開

剣もつ者の理屈と思い違いそして

ヒルダが26巻のさいごについにトルフィンを赦したと

いうところから27巻ではヒルダはそれこそ愛

トルフィンを信用し200%支えになりたいという意味での愛が

暴走もするだろうそれはするねなにしろこの物語では

ヒルダは「文字を理解する者」であり「物理構造を基本とした

機械の製作」を行い「弓を基本とした狩猟」も「荒野で生き残るサバイバル」も

身に着けているいわばワンダーウーマンだからだ(ちょっとできすぎ)

 

べつに暴走したこと自体はヒルダの思想からすれば至極当然

であるがまったく27巻は巻末に引きがあり

これがまた一体どういう謎なのか

そしてギョロの恋ははたして恋なのか

それはわからぬ

 

とにかく異様な緊張感のあるマンガであるがそれは戦史と開拓史である

以上は当然のことで

 

やはり緊張感(テンションシリアス)こそがもっとも人をひきつけるものなのだろうか

 

そうだろうなあと思いました